FC2ブログ
誤認逮捕を繰り返すケーサツの不祥事
2012/11/08(Thu)
パソコンへのサイバー犯罪の脅威が日増しに高まっている。誤認逮捕につながった「遠隔操作」ウイルスは、世界中で最も流行しており、誰の身にも感染リスクが起こりうる。感染ウイルスの約7割が遠隔操作の機能を持つからだ。他人のパソコンを無差別に「遠隔操作」ウイルスで感染させ、命令待ちの状態にして、不正アクセスする手口が横行している。

こうした危険なサイバー環境にもかかわらず、警察は、第三者のパソコンを踏み台していることさえ、認識できず、IPアドレスだけを過信し、誤認逮捕までやってしまった。普通に生活している人が、いきなり犯罪者扱いにする。サイバー犯罪に対する捜査手法が、IPアドレス頼みで、メール送信時のアリバイも調べもせず、すべてが後手後手である。発信元をたどるだけでの警察には、捕まえられないとの印象を、悪意のあるハッカーたちに植え付けるだけだ。

海外の複数のサーバーを経由させて発信元を分からなくする匿名化技術を使われたら、世界中の国がすべてのサーバーに通信記録の保存を義務づけない限り、たどるのはほぼ不可能だ。警察のサイバー捜査体制や知識では対応に限界があるのは明らかで、ネットの秩序は崩壊し、不正書き込み放題になってしまった。

誤認逮捕は、「足利事件」や「東電女性社員殺害事件」に見られるようにDNA型鑑定頼みでも起こっている。DNA型が一致しても、犯行時に犯人がいた証拠にならないからだ。

捜査担当者の単純な思い込みに基づいて見込み捜査が行われ、誤った犯人の断定が行われる。捜査担当者にとって都合の良い証拠のみの採用し、都合の悪い証拠は隠蔽、捏造するなどして、さらに自白を強要し、冤罪を生じさせている。証拠の評価をないがしろにし、恣意的に評価を変えてしまう風潮がある。身柄を拘束し続けて自白をせまる「人質司法」は、密室で無制限に取り調べができる日本の刑事司法上の問題点だ。

今の司法は、「検察官司法」と呼ばれている。検察官主導で刑事裁判が進められ、検察官と仲間意識が強く、検察官に頼る裁判所も、検察官の主張通りに安易に追従して有罪判決を出す「有罪ボケ」の状態である。検察官と裁判所による司法組織が、簡単に有罪判決に仕立ててしまうため、マイナリーさんの再審無罪が出ても謝罪、反省もない。こうした「検察官司法」の制度を批判する市民社会が、検察による取調べの完全可視化や証拠開示を求めるのは、当然の流れである。

警察の不祥事は、絶えない。不祥事とよばれるものは多様で、単純なものとしては警察官が窃盗や暴行・傷害など犯罪行為を行うものがある。さらには暴力団から金をもらって捜査情報を漏洩し、女性部下には集団セクハラ、痴漢、飲酒運転は数知れず、悲痛な訴えには、職務怠慢で慰安旅行、大事故当夜には、宴会を開くなどと、不祥事を挙げれば、切りがない。

警察を監視強化しなければならない公安委員会も今や単なるお飾りにすぎず、警察の追認機関となっている。警察は、根本的対策に手をつけず、腐敗にふたをしまうため、不祥事が繰り返されるだけである。

わずか数百人のキャリア官僚が30万人のノンキャリアを上意下達で動かすだけでは、現場の組織はすさむし、冤罪を生みかねない。過酷な検挙ノルマに起因する検挙報告捏造、裏金作りに代表される不正経理問題もある。警察組織も一種の行政機関・官僚機構であることから、他の組織と同じような不正も当然起こしえる。さらには許認可権限や利権に絡み、関係団体への影響力で利権官庁化している。

不正を取り締まる立場にある警察の不祥事は、単にけしからんというだけでなく、人や国の将来を危うくしかねない。警察のありようを根本的に変える必要がある。
スポンサーサイト



この記事のURL | 司法 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
目に余るに政治家の軽さ、選ぶ目を持たない有権者
2012/11/22(Thu)
来る12月の総選挙で、与野党が交代する。

民主党は、政局やパフォーマンスで場当たり的な対応を繰り返し、現場を混乱させ、自民党のような政党に変貌し、民意に背いたことで、支持率を下げた。

第三極として注目される政党も、民主党や自民・公明両党との政策の違いについて、はっきりしない。違いが見えない政党が離合集散を繰り返し、乱極化している。有権者の政治不信に応じて立ち位置が変わり、既存体制を揺さぶることしか考えていない。

政権獲得を目指せば目指すほど、政策の違いが見えない方向に収斂している。日本維新の会も、場当たり的で一貫性がなく、橋下氏はどんどん変節している。候補者をじゃんけんで決めれば良いと、野合を重ねる姿勢は、有権者を愚弄している。橋下氏の「批判の政治」は、ブラック企業的な恐怖心で人々を突き動かそうとしているだけだ。

ポピュリズム政治家が主張する「選挙時」の政策は、票集めのための方便であって、現実無視の政策である。どの政党が与党になっても、現実追随で政策に変わりはないというリアリティがある。「選挙時」の現実無視と政権獲得後の現実追随との両極端に分解している。「選挙時」の政策なぞ、実現できるわけがない。権力に近づけば、現実化を余儀なくされ、弱い存在になるだけである。

自民の安倍総裁は、3%インフレターゲットを目標に、日銀は輪転機を無限に回し続けて、建設国債を直接買い付ければいいと、暴走した発言を繰り返し、現実無視の政策が最大の争点になっている。

お札を刷らせるだけ刷らせて、建設国債を直接買い取りさせれば、政府は、借金のし放題となり、お金は限りなく市中に出回り、急激なインフレを招く。円通貨や国債は暴落して金利が上昇するため、国債を大量に保有する銀行は倒産し、1000兆円を超える政府債務は破綻となり、日本経済は崩壊し、悲惨な結果になるに決まっている。金利上昇による金融危機を招くだけで、やってはいけない経済政策である。過去の歴史が示している。経団連会長からも「禁じ手」の政策で「無鉄砲」だと安倍発言を批判している。

与党となる首相候補が、大言壮語の経済政策で、「選挙時」の政策だとしても、現実無視は度を過ぎており、世界の物笑いの種になる。「輪転機を無限に回し続ければいい」などと、ポピュリズム政治家の存在の軽さは、目に余るものがある。おまけに「日銀との論争で勝負あった」と自画自賛し、子供じみたことを言っている。馬鹿げた経済知識で、世間の笑いものにならなければよいが。

声の大きいポピュリズム政治家の声だけが響き、真ん中の声は、すっぽり抜けている。代議制民主主義は、ポピュリズム政治家ばかりを増産する欠陥がある。しかも二院制の問題も放置したままである。解散権のない参議院が、衆議院の国政を牛耳っており、いつまで経ってもねじれ国会で、決められない政治が続いていくだけだ。

小泉元首相の郵政選挙の時も、3年前の政権交代選挙の時もそうだが、有権者は、メディアが煽る「劇場政治」の空気だけで判断してしまう愚を繰り返している。熱狂した後には、必ず落胆と失望がもたらされる。これもポピュリズム政治家の弊害である。

多くの有権者が、選挙時の「現実無視の政策」と政権後の「現実追随の政策」の違いを理解しようとせず、「選挙時」の政策が、そのまま現実の政策となると錯覚しているのも、問題である。永田町の政治家と同じ目線で見ている有権者もメディアも、永田町の住民と同じである。

勿論、現実追随に一本化した政策ばかりでは、国民は不幸になるだけである。現実の中に潜む、多様な政策の選択肢を検討した政策論争が求められるのに、選挙を目前にして、保身に走るポピュリズム政治家が右往左往しているのは、目に余る。

法律作りも予算編成も、事実上官僚達がやっているのが、日本の仕組みであり、政治家ではない。最大の政治勢力である官僚機構が、国政を牛耳っているからだ。官僚達が現実追随の政策で国政を動かしている背景があるからこそ、多くのポピュリズム政治家が、保身に走り、現実無視で、無策に等しい政策を主張できるのである。有権者は、ポピュリズム政治家ではなく、官僚機構が現実追随の政策を決めていることに気付くべきである。

求めるべき政治家は、「職業としての政治家」や「家業の世襲議員」ではなく、人々を導く上質な物語を語れる政治家である。「利益を分配する政治」や、「批判する政治」でもなく、「構築する政治」を展開できる政治家が求められるのだ。有権者も政治家の資質をよく吟味し、しっかりとした目を持って選ばないと、第三極劇場の空気に染まってしまい、政権交代後には、また落胆と失望が待っている。

ポピュリズムは、有権者の不勉強が一因となっていることも認識すべきであり、有権者も問われているのだ。有権者は、消費者化しており、これがダメなら次、次がダメならまた次と、政治そのものを疲弊させている。ポピュリズム政治家は、消費者化した有権者の一時的な欲望を満たす人気を得ればいいとしか考えていないからだ。
この記事のURL | 政治 | CM(1) | TB(0) | ▲ top
| メイン |