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同じ過ちを繰り返す日本社会の構造的欠陥
2012/08/24(Fri)
今年は、猛暑が続く暑い夏になったが、家庭や企業などの節電効果で関西や九州などで計画停電は一度もなく、全国的に電力に余裕があるという。節電を続ければ、大飯原発3、4号機を再稼動させなくても、関西電力以外から電力を融通するだけで足りるとし、原発なしで十分に乗り切れる可能性が出てきた。

福島第一原発の事故をきっかけに、政府はいったん、「脱原発」に大きくかじを切ったかたのように見えたが、責任の重い決定になると立ちすくんでしまう。原発で出る高レベル放射性廃棄物をどうやって最終処分するかという大きな問題も残っている。

重大な原発事故を起こしたにもかかわらず、「国民生活と経済活動を守るため」と言って原発の再稼動を進めようとするなら、最終処分の問題は放置できないはずだ。

これまでの原子力政策は、重要なことを決めず、あいまいにしてきた歴史がある。電力業界も役所もこれまでの路線の誤りを認めず、惰性で続けているだけだ。原子力政策は、先送りを超えた無責任体制だった。

この国は、肝心なことは社会で決め事をもたずにやってきた。高レベル放射性廃棄物の最終処理のめどもないまま、原発を推進してきた構図も同じだ。決めるべきことを決めず、やるべきことを後ろへ先延ばし、やっかいなことは先送りにしたことから、国を危うくする罪がある。

最近、米国のNRC(原子力規制委員会)は、使用済み核燃料政策への問題の対応が決まるまで、原発建設認可の最終決定を停止すると決定した。米NRCは、福島第一原発事故を教訓に、使用済み核燃料の最終処分について最重点課題と位置づけている。日本とは大違いである。

正確な断層調査や津波の予測リスクを無視したまま原発増設を優先した「原子力ムラ」による安全神話は、太平洋戦争の必勝神話とよく相似している。

当時の国家指導者たちは、自らに課せられた責任を積極的に引き受けようとはせず、責任不作為を繰り返し、最終的な意思決定を誰が行なうのかわからないまま、全てが手遅れとなり、戦争の泥沼に突っ込んで行ったのである。

敗北を繰り返した日本軍の組織的問題点を指摘した「失敗の本質」という本が、ある。(1)根拠のない楽観論から、不都合な情報は無視する(2)タテ割り組織のため、統合機能が存在しない(3)従前の手法に固執するため、環境変化に適応できないなどと、当時の日本軍組織の在り方は、津波による東日本大震災と原発事故をめぐる今の日本国内の状況と二重写しになる。

70年近い時を経ても、統治能力もなく、「リスク管理不在」で、構造的問題点を今もなお引き継いでおり、いまだに日本人の手によって戦争の総括も行われていない。自己保身優先の事なかれ主義が招いた責任不作為の表れもと言える。

省庁間、組織間の情報共有がうまくいかず、被害ばかりを拡大させる。強靭な社会どころか、脆い社会である。変われない日本社会の構造的欠陥には、日本軍と現代日本に共通する組織的ジレンマがある。

日本の行政機構は三重、四重になっている。為政者でなく、官僚が政治的主導権を握っている官僚内閣制だからだ。責任不作為の悪しき官僚主義が統治構造そのものを支配している。役所や官僚自らが政治的利害を持ち、天下り先を含め、自分たちの利益を最大化している。東電や民間企業を見ても、官僚化した組織の弊害があり、誤った情報で失敗を招いている。

立法機関も、衆議院と参議院で権力の二重性を放置したままで、誰が統治しているのか、分からない状況になっている。首相は、1年ごとに交代するため、政治が不安定化し、統治構造が崩壊している。日本は、失われた20年で経済的に弱体化し、財政破綻に瀕している。財政破綻から抜け出すにはこうした統治構造の無駄を省くことが必要だ。

日本は、外部からのモーメンタム(きっかけ)がないと、ずっと変わらない責任不作為の体制的欠陥がある。

日本経済が弱体化したため、中国や韓国までが領土問題でどんどん攻勢をかけてくる。日本の統治構造という体制的欠陥を、早く解決しないとさらに同じ失敗を繰り返すだけである。
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