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性悪説社会の勧め
2011/03/11(Fri)
京都大学などの入試問題が、試験中にネット掲示板に投稿された事件は、新聞の一面で取り上げられるほど、社会的反響が大きかった。

ネット社会が発達した今、考えなくても覚えなくても、ネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿すれば、第三者が教えてくれる。ネット上の知識を使えば、個人の知識が不要になったことを象徴している。単純な手口でカンニング行為ができてしまう。

ネット世代には、自分で苦労して考えなくても、ネットに外注すれば、他人の回答にただ乗りしてしまう風潮がある。自分で問題を解く力よりも人の力を借りるソーシャルな能力の方が高いとも言える。

逮捕された予備校生は、そうしたネット環境を利用したが、強烈なしっぺ返しを食らった。ネット上には証拠が残る。なぜネットで広く一般に公開されてしまうリスクを考えなかったのか。投稿が悪いことだという気持ちが希薄だったのだろう。

ネットは匿名社会のように見えるが、IPアドレスなどで必ず個人が特定される。自分が特定されると思っていなかったとすれば、基本的な情報リテラシー教育が必要だ。

ネットカンニングはバレたら、大きく報道され、社会的リスクを負うことを認識させた点で、今後、不心得者を生まないためにも有効だったと言える。

予備校生は、「受験した大学の中で京大が最もカンニングしやすかった」などと供述している。この受験生がやったことは、愚かであったが、ネット社会に対応できなかった大学側にも責任がある。

大学側は携帯電話が悪用される可能性をほとんど考慮せず、旧態依然の試験監督を続けていた。不正を働こうとする人間などいないとする「性善説」に基づいた大学入試の仕組みになっているからだ。

公平性を保つためにも、今回の事件を教訓に、「性悪説」の前提に立ってカンニングが難しい入試環境を整えるべきである。

教育の場である学校は、社会に出るための揺籃の場であり、社会ルールを叩き込む場でもある。学校組織であっても、会社組織における人間の行動管理と全く変わらない。管理や統治の本質は「性悪説」である。人間は悪いことをするものだというリスクヘッジの視点を持って組織の管理を「上から下まで」行うべきだ。

人間は間違いを犯すものである。人間は放っておくと、悪意という名の創意工夫でさぼることを考えたり、表面を取り繕う要領を考える生き物だ。

「性悪説」社会である欧米と違って、日本は、「性善説」の強い社会である。だが「和を以て貴しと為す」とする談合社会では、組織の自浄作用などを期待することができない。相撲協会の八百長相撲を見れば分かる。談合社会だと、誰も物事の優先順位を明確にしないし、責任も取らない。

「信用」を笠に着て、贈収賄、着服、利権、脱税などを行う悪い人たちをのさばらせておくような社会よりも、最初から「人は間違いを犯すものだから」と要所要所を押さえたチェック機能を持つ「性悪説」社会の方が良い。

社会は、本質的に腐りやすいものである。「見ざる・聞かざる・言わざる」の無関心でいると、それだけ滅茶苦茶な社会になる。
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原発事故は、安全神話による人災
2011/03/22(Tue)
3月11日以降を生きる我々にとって、世の中は以前と全く違ったものに見える。巨大地震と大津波は日本にとって戦後最大の災害となった。さらに福島第一原発の危機、大規模停電の可能性、株の暴落と重層的な危機が日本を襲っている。

大震災の惨状に追い打ちをかけるように起きた福島第一原発の事故は、明らかに人災だ。原発の放射能漏れ事故は、東電自らが招いた結果であり、自然を恨むものではない。

経済産業省や東電など電力会社は、「安全神話」にもとづく原発政策を推進してきたが、今回、放射性物質が漏れたことで、原発の「安全神話」は、もろくも崩れ去った。「安全神話」ゆえの人災である。

原発を推進した専門家や東電関係者たちは、このような原発事故に対する素人の不安に、無知なるが故の根拠なき不安として一笑に付してきた。だが、素人の不安が現実のものとなった今、巨大地震と大津波で打ちひしがれた人々に追い打ちをかけるような原発事故に、原発推進派の専門家たちはどんな申し開きができるのか。

事故対応も、最悪の問題を前提した抜本策を講じたものではなく、起こる事態を後追いするような対策ばかりで、より事態を悪化させた。考えられないような準備不足が被害を大きくした。国への通報も遅れ、4年前の柏崎苅羽原発の事故を教訓とせず、安全・安心を願う住民の心を無視したような東電の悪しき経営体質に憤りを覚える。

東電が海水注入を渋ったのは、原子炉を恒久的に稼働不能にしてしまうことを恐れためである。同社が長年にわたり投資した原発資産が無駄になるのを懸念したからだ。

今回の原発事故では「想定外」という言葉が繰り返し使われている。東電は、「想定外」という言葉で責任を逃れようとした。「想定外」は責任の免罪符にはならない。「想定外」というより、安全性の想定自体が甘かったのではないのか。この海域で起きうる地震の大きさを過小評価し、必要十分な防災対策を講じなかった。

多くの地震専門家は、東日本大震災を「貞観地震の再来」とみている。
2009年の経済産業省の審議会で、平安時代の869年に宮城県沖で起きた貞観津波の痕跡を調査した地震学者が、同原発を大津波が襲う可能性を指摘していたにもかかわらず、東電側は「十分な情報がない」と対策を先送りした。地震専門家の指摘を軽視したことが、前例のない事故を引き起こした。

福島第一原発は日本で最も古い原発で、1970年代に稼働を開始したが、今回、危機を招いた福島原発の設計と安全性が問われている。

核燃料は原子炉が停止していても、常に熱を出し続ける。このため、水を循環させて、海水と熱交換して冷却する作業をずっと続ける必要がある。そのための機器の動力源は、ほとんどすべてが電気だ。今回の巨大地震と大津波で、全電源喪失という原発の運転で絶対にあってはならない事態が起きた。

原発周辺には、設計時に想定した津波の高さの3倍近い14メートル以上の大津波が押し寄せたという。この大津波が原発安全の根幹にかかわる原子炉の冷却機能を喪失させ、今回の事故につながった。全電源喪失という事態は、冷却水を冷やす海水ポンプも動かなくなったということだ。海にすべて依存する冷却システムという基本構造が損なわれると、たちまち機能不全に陥った。

原子炉のいくつかを空冷にしていたら、事態は違ったかもしれない。効率的・経済的に冷やすことばかりを優先したため、巨大な冷却塔を建てる必要も考えなかったのだろう。

非常用ディーゼル発電機の設置場所も問題だった。欧米の原発は、天変地異によって原発と発電機が同時に破壊されないようにするため、ディーゼル発電機は出来るかぎり離れたところにある。だが福島原発の場合、原子炉と非常発電機が互いに近接したところにあった。

また原子炉6基も互いに近接したところにある。このため、一つの原子炉が打撃を受けると他の原子炉に波及し、復旧努力に障害になっている。

さらに原子炉よりも使用済み核燃料の問題のほうが深刻だ。使用済みといっても、核廃棄物であり、その主要な成分であるプルトニウムの毒性は核燃料のウランよりはるかに高い。しかも「崩壊熱」という熱を出し続ける。冷やさないで放っておけば、使用済み核燃料の温度はどんどん上昇して、使用済み核燃料が熱で壊れる。

腰の定まらない政府は、複合危機で立ちすくんでおり、対応が後手に回っている。「決断を下す指揮官」が見えない。国を挙げた対応が必要なのに、与野党はいまなお責任の押しつけ合いや党益優先の行動に終始し、救援・復興体制を固められない。

「市民社会」は震災直後から、互いに助け合い精神を発揮し、世界から賞賛されている。しかし国民にふりかかる災難を払い、迫りくる危機を克服する責任がある政治家は、助け合い精神すらなく、全く役に立たず、国民の不安を増幅させているだけだ。その意味でもこれは人災なのである。政府のお手並み拝見といった高み見物をしている場合ではない。政治家なら、この一大事に汗水を流すべきだ。
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