FC2ブログ
社会を変える情報交換システムになったフェイスブック
2011/02/12(Sat)
チュニジアの独裁体制を打倒した市民デモの動きが、エジプトにも波及し、ムバラク大統領の辞任まで追いつめた。民衆を動かしたのは、インターネット上の世界最大のソーシャルネットワークサイト、「フェイスブック」だ。

「フェイスブック」やツイッターが、以前には吸い上げらなかった民衆の声を顕在化させたことで、民主主義の実現に役立ったと言える。情報発信力を持つインターネットの時代に、強権政治を支配することは難しくなった。

「フェイスブック」は、使い勝手の良さと実名主義が最大の特徴だ。全世界の利用者は6億人で、10人に1人が、実名で仕事から趣味まで個人的な情報を交換する場になっている。顔が見えるコミュニケーションによって信頼関係が構築され、リアル社会と同様に、家族、友達、同僚とのつながりを通じて人間関係の深化や開拓ができる。

ビジネスでも集客・新規顧客開拓などに、「フェイスブック」なしでは、コミュニケーションが成り立たなくなっている。

米国企業の約8割が、「フェイスブック」を宣伝やマーケティングに利用する理由として、ユーザーの反応の良さを挙げている。「自社ホームページ」と同じ感覚で利用できるからだ。

グーグルなどの検索サイトよりも、「フェイスブック」のSNS経由での訪問者数が上回っており、ネット上の巨大コミュニティになっている。「フェイスブック」社員のうち,約6割以上はグーグルから転じたという。

「フェイスブック」は、すべてのサービスの入口になる潜在能力がある。今後もあらゆる機能やサービスをのみ込んだプラットホームとして、膨張しつづける。

「フェイスブック」創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏らを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」の公開も重なり、「フェイスブック」をテーマにしたビジネス誌の特集や、セミナーは大盛況だ。今や「フェイスブック」は、社会を変える情報交換システムになっている。

しかし膨大な個人情報がどこでどう管理させているのか、不安はつきまとう。一歩間違えば、監視社会にもなりかねない。

日本は、ソーシャルネットワークは匿名であり、「フェイスブック」が広がっていない数少ない国である。まるで実名でつながった広大な海に浮かぶ匿名の島になっている。「フェイスブック」が日本で振るわないのは、徹底した実名主義が敬遠されているからだ。

堂々と顔や実名をさらすのが当然という欧米の常識が、日本にはなじまない。顔を見せぬつつましさが日本の美徳になっている。コミュニケーションの文化やスタイルが欧米で違うため、匿名にしたがる日本人には違和感がある。

タイガーマスク現象が日本各地で広がったのは、素顔を隠す「マスク」が大きな役割を果たしたことからも分かる。

だが匿名からは、持続的な双方向のコミュニケーションは生まれない。善意のネットワークは、「マスク」を脱げば、もっと広がるとも言える。

ネット社会は、リアル社会の姿を映し出している。0か1かの二次元情報しかなく、中間がないデジタル思考は、思考を単純化する。大賛成か大反対かしかない世界で、白か黒かを決めたら、それ以外は受け入れない空気になっている。本音を語ることができない。

同質な集団の中で、同じ話題を共有するノリが大事になっている。多数派意見に流されてしまい、他人の顔色を見てからしか行動できない。その最たるものが、政治だ。確固とした態度が取れないからだ。賛成か反対かの政治的対立で混乱して、何一つ物事が解決できない。日本社会は、多くの政治的対立の問題をハンドルできなくなっている。

へたなことをつぶやけば、一気に攻撃対象になる。フォロワー数で強者が決まっていくツイッターの世界に身を置くと、そうした危険性とも背中合わせになる。

誰でも自由に利用できるソーシャルメディアは、たくさんの情報が収集できて便利である反面、情報がありすぎて自分の価値観が信じられる人は少ない。他人思考がどんどん広がり、自分で考えることができなくなっている。

ネット社会もリアル社会も複雑な問題をどんどん単純化して、集団的思考停止の状態に堕ちている。
スポンサーサイト



この記事のURL | 持続可能な社会 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
幼児化する日本社会
2011/02/24(Thu)
「国民の生活が第一」で政権交代を実現した民主党が、「党内政局が第一」で、自壊の途にある。

国民生活に直結する来年度予算がかかっているときに、党員資格停止処分にされた小沢一郎を慕う小沢系議員16名が、造反した。離党せず民主党会派だけ離脱するという主張は極めてわかりにくい。

政策を争うならまだしも、私怨のたぐいだから情けない。バラマキ政策のマニフェストが財源不足で破綻しているのは、誰の目にも明らかであるのにもかかわらず、マニュフェスト実現のスローガンばかり繰り返すのは、極めて無責任だ。「国民の生活が第一」でなく、「選挙が第一」の利益誘導政治にすぎない。

選挙至上主義者である小沢一郎の力を借りないと自分の選挙がおぼつかない連中ばかりで、国民の税金から給料をもらいながら、国民のために何にもしない。自分の親分のための行動で、税金泥棒だ。

「政治は権力闘争」だとする小沢一郎の瀬戸際戦術で、解散・総選挙は避けて、菅首相だけを引きずり降ろす作戦だ。

例え首相が辞めようと民主党が抱える問題が解決するわけではなく、「選挙が第一」である民主党の分裂は必至だ。

こんな政局祭りは、政治や日本経済をフリーズさせ、国民生活を破壊する。政党は政策を政局の手段にし、若者から未来を奪っても恥じない。国民は、不毛な政局ばかりを繰り返す政党政治に失望している。

「選挙を通じて、権力闘争に勝ち続けることが政治である」だとし、金権政治に走る小沢一郎は、日本経済や国民の将来よりも「個人の利益」を優先している。日本の政治のためにも、政界から引退すべきだ。多くの国民が小沢一郎に議員辞職を求めるのは、「政治とカネの問題」で見え透いたウソを突き通していることをわかっているからだ。

日本の政治家たちの幼児性には耐えられない。

幼児性は、政治家だけにかぎったことではない。「大人の組織」である企業人も幼児性丸出しである。

大学生が就職できないのも、雇用者である企業がパブリック・マインドを失っているからだ。「即戦力」とか、「コミュニケーション能力」とかで出来上がった既製品しか受け入れない。「自分の都合」しか言わないのだ。

幼児化した企業人が、学校を出た若者たちを受け容れて、成熟した市民へ育て上げるなど、できるわけがない。

自分の正当性ばかり主張している大人社会は、幼児化していくだけだ。日本社会を支えるエスタブリッシュメントが急速に幼児化している。

ネット社会の普及で、白か黒かの「二分割思考」が広がっている。ものごとを何でも「ズバッと」決めつけることが社会を狂わせていく。「正解は必ずしもない」と知るべきである。

「二分割思考」は分かり易い議論であるが、思考停止に陥る危険な考え方でもある。思考停止は、知的レベルを引き下げ、社会を幼児化させていく。かつて養老猛司氏は、このような思考停止状態を指して、「バカの壁」と表現した。

我々現代人がいかに考えないままに、自分の周りに様々な「壁」を作っている。つまりあの人たちとは話が合わないという「一元論」も「バカの壁」の元凶である。

人間は社会の中で生きる生き物であるのに、自分の正当性ばかり主張しても、どうしようもない。譲れるところは譲り、向こうにも譲歩させて、「良い加減」なところを見つけてやっていけばよい。

部分的な情報で全体を測ることも良くない。「合成の誤謬」という難しい問題が起こることを認識すべきである。つねに全体を意識し、情報を統合する全体思考が必要だ。

「合成の誤謬」を避けるには、強制力を働かせることが求められる。例えば国が法律を変えることで強制力を働かせ、協調を実現させることができる。

しかし幼児性丸出しの政治家ばかりでは、政治の質が低下し、そういうことが全く期待できない。

人々の英知を集め、「合成の誤謬」を避ける知恵がないと、日本社会はどんどん幼児化する。
この記事のURL | 政治 | CM(1) | TB(0) | ▲ top
| メイン |