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国会議員の顔ぶれに多様性を
2010/12/09(Thu)
参議院が、政局の府になってしまった。

臨時国会は、徹底した議論を通じて合意を見出す「熟議の国会」ではなく、党利党略・個利個略の「物議の国会」で終わった。国民が望む国会の姿ではなく、自滅的な混乱に陥っている。

国民の税金が使われている国会議員が、政略優先で政権への打撃ばかりを狙い、その政策に反対しさえすればよいとする「選挙のための反対」では何に生まれない。与野党は、妨害の政策に明け暮れるばかりで、重要な課題解決に取り組もうとしない。

いま重要な課題と言えば、雇用である。若者が人間としての存在価値さえ否定されている前代未聞の就職難を打開し、完全雇用をどう実現するか、尖閣諸島や北方領土、北朝鮮問題、年金を含む社会保障制度など、党派を超えて取り組む必要があるにもかかわらず、その責任を共有しようという姿勢は全く感じられない。

憲法が参議院議員に6年間の任期や安定的な立場を保証しているのは、長期的かつ大所高所に立った議論が期待されているからである。政治主導の時代には非常に高い能力と見識が求められるため、党議拘束を外し、議員が自分の信条や考えに基づいて行動すべきである。議員は勉強せざるを得ないからだ。

そうである以上、参議院が内閣の行方を左右したり、政局につながるような動きをするべきではなく、参議院から閣僚を出すのも間違っている。

いまのような参議院なら要らない。議員の顔ぶれが、衆議院と似ていること、審議の中身ややり方が衆参で大差ないからだ。首相の施政方針演説、各党の代表質問、予算や法案の審議から、委員会の構成まで衆議院とほとんど同じ。時間がかかるだけで無駄だ。

参議院には、衆議院をチェックして、バランスをとる役割があると言われてきたが、そのチェック役は期待できず、その存在が問われても仕方がない。衆参で同じようなパーソナリティの人たちが、同じような議論をしてもチェックにならない。

議員のパーソナリティも、世襲議員や官僚、地方政治家、政治家秘書が多数を占めており、多彩な人材がそろっているとは言えない。人材の流動性がない。流動化どころかむしろより固定化しているのが問題である。政党内で世襲議員が優遇されているのは、さらに問題である。また組織票と資金力を持つ業界団体や労働組合の上がりポストのような比例区は廃止すべきである。

政治における人材の問題は、政治主導の実現にとって極めて重要である。議員の子弟、という小さな世界だけでは、多様性を反映させた人材の確保はできない。

衆参で構成する議員が似ている以上、審議の中身も同じ。ならば、議員の選び方を変えるほかない。前職、性別、年齢、出身母体、社会階層が両院で異なるように、議員の多様性を創り出す仕組みが必要である。例えば、衆議院はより社会を反映させるため、多種多様な分野からフレッシュで若い人を、参議院は政治経験のある年配の人を選ぶのも一策である。

この国の将来の命運を分けているのが、「人材の流動性」の低さなのだ。同質的で人材流動性の低い国会は、ものの考えが画一的で、多様性に乏しい。多様な文化背景と価値観を持った議員の協働による化学反応など生まれない。議員の顔ぶれをがらりと変えて、多様性を打ち出してこそ、ユニークな価値観が創造される。

政治を行う人材の質を高めていかなければ、真の政治主導は産まれない。早急に日本社会が対応すべき問題は、「人材の流動性」をサポートする社会体制が遅れていることだ。

すべての雇用が流動化しようとしている今、国会議員にだけ「人材の流動性」がないのは、おかしい。まっとうな政治をせずに政局ばかりうつつを抜かす国会議員は要らない。

国会議員に「人材の流動性」がない限り、将来の可能性を奪われた若者の精神がなえるだけだ。
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縮んでいく日本
2010/12/24(Fri)
町工場が、日本は仕事ないと続々と中国へ進出している。

政府の経済政策の混乱は見るに堪えない。バブル崩壊後20年も経済が停滞基調にあり、デフレが長期にわたり続いているのに、そこから脱しようという覚悟が、政府の政策に見えない。国の借金財政で、早くて3年後に財政破綻する待ったなしの危機的状態にあるにもかかわらず、だ。

選挙目当てのバラマキ政策と消費者税率引き上げを欠く税制改革が、将来負担の拡大をもたらし、先行きへの不安をかき立てている。

既得権者の官僚は、自らの責任で改革を行うことを嫌い、跋扈しているだけだ。

利潤追求の企業も、お上頼みで既得権益擁護の姿勢ばかり目立ち、雇用や賃金を削って溜め込んだキャシュを使おうともしないで、成長戦略や税負担の軽減ばかりを政府に求める。長期雇用や企業年金など正社員の既得権を維持するあまり、若年層は就職難や雇用の不安定化、低賃金で喘いでいる。

いつまで経っても労働市場の流動化が進まない。正規、非正規という身分制度のような仕組みをなくすためには、同一労働同一賃金やワークシェアリングの考え方を取り入れなければならない。

さらに社会保障削減と市場化という二つの流れによって、人が「モノ」として市場化されている。人を「モノ」として扱えば、経済効率は上がるが、幸せになれるわけがない。

見境ない市場化ではなく、どこまでを「公」として国が守るべきかの線引きを決める必要があるにもかかわらず、政府も官僚も企業も、自らリスクをとることなく、他者や将来世代の負担・犠牲の下で、自らの既得権益を守ろうとしているだけだ。

今の日本に必要なのは、政府、企業、官僚それぞれが日本の拠って立つべき基盤を率直に語り合い、現状を変える大きな戦略を打ち出し、目指すべき社会像をはっきり示すことだ。

それには党派を超えた政治指導の下で、政・民・官の「オールジャパン」で取り組まないと、国際競争で生き残れない。

昨年の政権交代は何だったのか。民主党政権の頼りなさは、我慢の限界を超えている。このまま退潮して民心が離れるだけである。政権党が代わるだけでは、ダメであることがわかった。政権ではなく、新たな世代交代が必要である。

国の将来を担う若者の雇用の確保が、喫緊の課題であるのに、先の臨時国会は、景気回復のために何をするべきかの議論がなく、全く中身のない、揚げ足取りと野次・暴言だけの愚を繰り返している。あきれ果てるしかない。

選挙をやるたびに、世の中が悪くなっている。財政赤字の要因は、政策立案に際して政党がポピュリズムに傾き、選挙を過剰に意識してきたことによる。日本は選挙が多過ぎる。

選挙目当てのバラマキ政策を繰り返してきたため、増大した財政赤字で財源不足となり、政権党だけでは政治解決できない国難に陥っている。経済、外交・安全保障で日本の「プレゼンス」がとても小さく、何も出来なく、縮んでいくだけの日本。

ギリシャを見れば分かるように、国が借金を返せないとなれば年金も雇用も、そのほかの予算もどんどん削られて、国民の生活が大きく損なわれる。

そうした事態を防ぐには民主党であれ自民党であれ、1つの政党だけが頑張っても無理だ。国民が求める新しいパラダイムを模索するには、新たな政治の再生が必要だ。

自民党も党利党略でなく、この国、国民のための政治をするべきだ。「どっちがましか」の論争をしている場合ではない。税制や社会保障、安全保障などの重要課題について、政党の利害抜きで財政再建の必要性を訴える大連立が必要だ。

いつまで経っても政治責任を果たそうとしない小沢一郎の国会招致をめぐる対立が、大連立の障害になっている。国会招致を拒む小沢一郎に離党勧告すべきである。「小沢か、脱小沢か」の対立から、いい加減に卒業してもらいたい。

長い間日本を苦しめた金権的な政治手法で、国民の幻滅を招き、巨額な借金財政をもたらす選挙至上主義者の政治家など要らない。
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