FC2ブログ
信頼を失った中国、お粗末な日本
2010/10/04(Mon)
尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、中国は外交的勝利に浮かれているとしたら、大きな間違いだ。真の勝者は中国ではない。中国は国際社会に対して大きなマイナスを背負ってしまったからだ。

やられたら、やり返すという高圧的な中国に対し、日本国民は不信感と警戒感を増幅させている。「悪しき隣人」にしか見えない。難癖をつけて日本人社員を拘束したり、大国にしては情けない振舞いは、中国の弱さの表れだ。仕掛けた中国を見る世界の目も冷たく厳しい。

中国の膨張主義は、19世紀帝国主義外交の現代版だ。アジア諸国や世界に対して中国外交がいかに粗っぽいかを示してしまった。中国の膨張主義がますます強くなっていく脅威を国際社会に感じさせたことは、中国にとっても得策でなかろう。

衝突事件の責任の第一は、中国側にある。客観的に見て、尖閣諸島は日本の施政権下にある。中国の領土だと法的に歴史的にも確立していない。それを力ずくで変更しようとするのは国際秩序を乱す行為である。

その一方で、日本の外交はお粗末であった。他の国々からは、日本が中国の圧力に屈したと見ている。船長釈放は中国に対する日本の弱さと依存度を露呈してしまい、拙速であった。

検察が独自に判断したというが、そんなことはありえない。衝突事件は外交問題まで発展したのだから、司法の判断を超えている。政府中枢が関与したはずだ。中国がこれまでにない極めて強権的な外交手段で、しかも矢継ぎ早にエスカレートしたため、日本政府は事態の収拾を急ぎ、最悪のタイミングで船長釈放を決定してしまった。逆に中国に「望むものは何でも手に入る」という自信を与えてしまった。

中国は、経済成長に欠かせない海底資源を押さえるため、したたかに既成事実を重ねながら、南シナ海で膨張を続けている。空母建造を含め、海軍の増強を急いでいる。尖閣諸島沖の衝突事件は、中国の膨張が日本の間近に来ていることを示している。中国の強引な海洋権益確保には無視できなくなっている。

日本政府は、尖閣諸島領海でのこうした事件の発生を覚悟する必要があったにもかかわらず、いざという時の想定の備えをしてこなかった。だから、土壇場になって拙速な決定をしてしまった。外交の司令塔が見えないのが問題だ。

日本は「国内法にのっとり粛々と処理した」というが、説明不十分である。対峙にためらいがあってはならない。「力ずくの現状変更は認められない」という明確な政治的意思を主張すべきであった。日本政府が今なすべきことは、今後の処理を含め、原理原則を明確することだ。

普天間問題に続いて尖閣諸島沖の衝突事件で、いまや外交は民主党政権のアキレス腱となってしまった。外交に不安がつきまとうのは、寄り合い所帯の政党でまとまりがなく、体系的な外交戦略がないからだ。

積極的な資源外交の戦略が必要だ。レアアース輸入で、96%を中国に過剰依存する日本の産業構造の脆弱さを露呈してしまった。一国に偏るのは資源安全保障上良くない。レアアースは中国以外の資源保有国(カザフスタン、モンゴル、南アフリカなど)も豊富にあり、多面的な資源外交で、中国偏重を見直しリスク分散を図るべきだ。

日本は法治国家であるが、中国は人治の国だ。中国の非民主的政権を支えるのは、ナショナリズムと膨張主義であって、なりふり構わず、相手国に圧力をかけてくる。

今回の事件で、日本政府には熱意や交渉の意欲がなく、危機を回避する協議すらできなかった。「歴史的事実」を振りかざして見ても、領土問題は解決しない。日本政府は、今回の失敗で、対話で実益を得る重要性を理解すべきである。一方的措置をエスカレートさせる事態だけは回避しなければならない。そのためには、「悪しき隣人」とハイレベルでのコミュケーションのチャンネルを確立することだ。
スポンサーサイト



この記事のURL | 社会貢献 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
民意が、検察権力の上に立つ新しい時代
2010/10/11(Mon)
小沢一郎が、国民を代表する検察審査会によって強制起訴された。国民の判断によって政治家が強制起訴されたのは、初めてのケースだ。「政治とカネ」の不透明さにうんざりしている国民感情からすると、今回の強制起訴は、社会の進歩である。検察審査会による市民感覚の判断が、政治に直接影響を与える時代になったと言える。

刑事訴追をめぐる検察の判断は、以前から「政治的配慮」が指摘されてきた。それだけに、風穴が開いた意味は大きい。検察の判断に委ねるのではなく、公開の法廷で有罪か無罪かをはっきりさせることを求めた。

検察調査会の起訴議決は、感情論に走っていると一部の法律家が危惧する向きもあるが、判決文にしてもいいぐらい良く出来ている。それこそ本来の刑事裁判の在り方である。

これまで公訴権を独占する検察が作成した調書をもとに、裁判所が検察従属型の裁判で「推定有罪」を追認していた。「推定無罪」の原則が成り立っていなかったのは、検察が前時代的な考え方でやってきたからだ。変えるべきは、現状の方で、検察権力を抑制することが必要である。

議決書は、「国民が選んだ政治家だからこそ、一般国民による判断が何より大切であり、検察と同じ視点で犯罪をとらえ、構成要件の当てはめを考える必要性は全くない」と断じている。公訴提起に国民の意思が反映されて当然だ。民意は、検察権力の上に立つべきである。

公開の法廷で白黒をつけようとするのが検察審査会の制度だと言い切った市民感覚は、分かり易い。普通の人なら誰もが感じる疑問によく答えている。権力に弱い法律家の常識の方が余程ズレている。

皮肉なことに、小沢起訴をめぐって、証拠不十分とする検察上層部の意見と裁判所の判断を仰ぐべきだとする現場の検事たちの主張が対立していたが、検察審査会の議決は、捜査現場の検事たちの主張と同じであった。検察審査会の起訴議決によって、事件はようやく原点に戻ったのだ。

小沢氏の土地購入資金に素朴な疑問を投げかけた。「4億円の自己資金を出したのであれば、銀行から4億円を借り入れる必要はないのではないか。年間約450万円もの金利を負担する借り入れに秘書に言われるまま署名・押印したのは極めて不合理・不自然である」とした。手持ち資金があるならそんな利子を払ってまで借金はしないだろうと、こうした素朴な疑問に明快な説明がない以上、法廷の場で白黒をつけるべきだという起訴議決は、適切な判断である。

事件のポイントは一点に尽きる。小沢氏が、虚偽記載を了承したか否かである。小沢氏が何も知らなかったはずがないという傍証は山のようにある。起訴しないほうがおかしい。

疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで中央突破しようとした小沢氏の思惑は、国民の代表である検察審査会によって退けられた。

「政治とカネ」の問題でダブル辞任して3ヶ月も立たないうちに、民主党代表戦に立候補したことに民意の厳しい批判に晒されたのは、政治責任に対する小沢氏のいい加減な姿勢が問われているからだ。

透明であるべき政治資金の情報開示を歪めたことに対し、プロの検察以上に「国民の目」は厳しい。

小沢氏は、かつて検察審査会に対して、素人だとの発言があったが、第三者が指摘するならまだしも、俎上にのっている当事者が言うのはおかしい。そもそも、検察審査会の制度は、素人である一般市民が、その常識と論理に照らして、玄人である検察の判断をチェックすることにあるはずだ。

折しも特捜検事の証拠改ざん事件で検察への信頼が失墜している。今回の起訴議決は、検察に対する国民が突きつけた不信任でもある。

裁判員制度は、普通の人々の感覚を入れ、調書でなく法廷での被告や証人のやとりに重きを置く公判中心主義への転換である。

偽装の問題は、企業の粉飾決算や食品の賞味期限偽装、産地、品質の偽装、耐震偽装などに留まらない。政治資金報告書の虚偽記載や消えた年金問題の公約違反など、企業のトップや政治家といった日本のリーダー的存在である人々が、目先の利益のために不正をし、それを必死に隠蔽しようとしている。こうした隠蔽行為は社会の進歩を遅らせることになり、「うそ」は許さない社会の流れになっている。

今回の強制起訴で、日本の司法制度が大きく変わる。取り調べに頼る検察捜査に限界がある。自白の強要を避けるためにも、新しい手法で検察の恣意的な権力行使に国民は「ノー」と言えるようになったのだ。
この記事のURL | 社会貢献 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
貧困ビジネスや悪徳商法は、政治の怠慢
2010/10/24(Sun)
「無縁社会」の広がる中、貧困が深刻化する社会の歪みを背景に、「貧困ビジネス」が蔓延している。

「貧困ビジネス」は、社会的弱者の味方を装いながら、生活困窮者を食い物にするハイエナ・ビジネスだ。

賃金業法の改正に伴い、貸し渋りや多重債務で融資を受けられなくなった人に、クレジットカードを使った買い物で現金を融通する「現金化業者」が急増している。客にビー玉や将棋の駒など、100円程度で買える商品をクレジットカードにより数十万円で買わせ、高利の手数料を差し引いた代金を客に提供する「ヤミ金融」である。

これ以外にも、生活保護受給者を囲い込んで生活保護費をむしり取る「無料低額宿泊所」や病院、家賃滞納が少しでも生じると深夜未明にわたる取立てや一方的な鍵の交換をする「ゼロゼロ物件」、賃貸住宅入居や就職活動のために必要な保証人を探すことができない人を食い物にする「保証人ビジネス」など、「貧困ビジネス」にまつわる問題は枚挙にいとまがない。

ハイエナの仲間に、弁護士や司法書士事務所までが「過払い請求」をあおっている。

いちど貧困におちると、企業も行政も家庭も助けないし、孤立無援の貧困者に、貸金業者など「貧困ビジネス」の猛者たちがハイエナごとく群がり、すべてを奪い尽くしていく。

なけなしの金をむしりとり、貧困層をさらなる困窮へと陥れる「貧困ビジネス」は、非道のビジネスで、もはやモラルをかなぐり捨てた日本経済の末期的症状の象徴だ。

「貧困ビジネス」業者は、「生活困窮者を救ってやっている。人助けだ」と開き直る。業界を監督する官庁はなく、規制する法律も存在しないため、打つ手がないのが現状だ。行政の怠慢によって機能していない。

NPO法人が運営しながら営利事業としか思えないケースもある。申請も簡単で管理がずさんなNPO法人には、怪しいものが多数混じっている。闇の勢力が多く進出しており、NPO法人を隠れ蓑にした悪徳業者が急増している。監督庁の行政機関が知らない顔をしており、NPO法自体もザル法状態である。

こうした「貧困ビジネス」がはびこる背景には、国のセーフティネットがしっかりしていないからだ。法規制だけでは根本解決にならない。大もとにある貧困そのものを根絶することが必要だ。

社会的弱者をターゲットにした「貧困ビジネス」だけでなく、高齢者を騙す「悪徳商法」もはびこっている。少子高齢化が進んでいる日本では、詐欺師にとって高齢者は格好のターゲットである。狙う理由は、はっきりしていて「資産がある」「相談相手がいない」「判断力が鈍っている」「騙されたことを隠す」からだ。振り込め詐欺をはるかに凌駕する「高齢者詐欺」が猛威をふるっている。

中高年や若者も例外ではない。ネット社会になってから、詐欺業者が増加している。若者もネット商法の餌食になるケースが後を絶たない。ワンクリック請求に 出会い系サイト、情報商材のネット通販、架空請求、アフィリエート・ドロップショッピングなど被害事例が急増している。

手を変え品を変える悪徳業者は、法規制の抜け穴を見つけるのが巧い。悪質な利殖商法の歴史は、法律とのいたちごっこである。かつて商品先物系の悪徳業者は、法規制が出来るたびに商品先物取引、海外商品先物、海外商品オプション、FX、ロコ・ロンドンと手口を変え、今は、法の対応が遅れている「自己募集による未公開株」の新たな手口で利殖商法を行っている。モグラ叩きのように、法律で取り締まっても取り締まっても新手の「悪徳商法」が出てくる。

あれもこれも、世の中には、弱い立場の人を狙った詐欺行為が横行している。
年間100万件前後の消費者被害が報告されており、消費者被害による経済的損失額は約5兆円近くに上る。GDPの約1%に相当する。

「悪徳商法」の最大の問題は、訪問販売法といった「ぬるい法律」でしか罰を受けないことだ。詐欺罪が適用されることはまれで、多くの場合は販売法になる。

実際には詐欺行為でありながら、その「業態」から詐欺にはならない。それを十二分に承知しているからこそ、「悪質商法」は減らないのだ。

行政の怠慢で悪徳業者を野放しにするのは、異常である。政治の怠慢で被害を受けるのはごめんだ。
この記事のURL | 政治 | CM(1) | TB(0) | ▲ top
| メイン |