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官僚のお手盛りをガラス張りで監視
2010/06/04(Fri)
事業仕分けは、無駄な税の使い道を国民に明らかにしたことで高い評価を受けている。

国から補助金や事業委託を受け、非効率な事業を行う独立行政法人(独法)と公益法人の事業仕分けは終わったが、幹部公務員をもっと仕分けする必要がある。

独法の天下り官僚や職員の給与が、国家公務員より高給で、そのお手盛りが仕分けの俎上に載った。

国民の代理人(エージェント)として働くべき官僚が、国民の税金を食いつぶして、退職後の自分の天下りポストを増やすなど、お手盛りで好き勝ってなことをしている。官僚に対する国会議員や国民からのチェックがほとんどないため、長年のお手盛りが続けられていたからだ。

天下り禁止や事業仕分け、公務員制度改革は、公務員が国民のために効率的に働くようにし、税金の無駄遣いをなくすことが目的のはずだが、これらだけでは不充分である。

「依頼人である国民」の利益と「代理人である官僚」の自己利益が一致していない。依頼人が気付かないと思って、代理人は自分の利益ばかり増やしている。依頼人が代理人の状況を知り、厳しく監督できる仕組みがないからだ。

国民に代わって官僚のお手盛りを防ぐべき立場の国会議員もお手盛りをやっており、国民全体の利益を害してまで自分の選挙区に利益誘導する。そのため、国民全体への行政サービスが低下し、新たな税金の無駄遣いが発生する。民間から起用された仕分け人の活躍ぶりを見ると、これは本来、国会議員がやるべき仕事ではなかったのか。

「依頼人と代理人」の関係が、「国民―国会議員」と「国会議員―官僚」の二重になっているため、問題が複雑で解決が困難になっている。

国会議員の政治主導といっても、見識がなく、まだ未熟である。政治主導だけなく、行政の意思決定の経緯を情報公開すべきである。国民の政治への批評は、ブログやツイッターを介して格段に成熟している。国民全体の立場からメディア、市民団体、学者などが様々な角度で、批判的にチェックできるような情報公開を政治主導の上位に置くべきである。税金の使い道をただすのは、国民が厳しい視線で官僚のお手盛りをガラス張りで監視するしかない。

政治主導による政策形成を成熟させるためにも、政務三役(大臣、副大臣、政務官)の執務経験のある政治家と、情報公開で理論武装した市民たちが政策論議を交わすことが必要である。

日本の政治は、形式的には「民権政治」の体裁をとっているが、実質的に官僚が国の重要政策を決めているから「官権政治」である。

しかし「官権政治」の欠陥は、失政の責任を政治に押しつけて実質的な決定者が逃げ、最終的な責任があいまいになることである。薬害肝炎の問題でも、当時の責任のある官僚が巧妙に逃げて関連業界や公益法人に天下っていた。

医師不足の医療崩壊の問題も、医師系技官の医師である厚生省官僚が元凶になっている。舛添前厚生大臣が書いた「舛添メモ」の中で、「開業中心の医師会と医系技官は、緊密な関係にあり、その医師会の意向を受けた技官達が、医師が足りないことが分かっていながら、医師会の権限を守るために、医師が余っているといい続けたので、現在の医師不足になった」と内情が暴露されている。

「官権政治」の弊害を是正には、官僚の責任を明確化した信賞必罰の人事評価制度を通じて、官僚制度を変えるべきである。官僚を昇格させるばかりで降任規定がないと、天下りが起きる。お手盛りする官僚は、降任させるべきである。税金の横流しで天下り官僚を増やすよりも、降任による年収減の方が、天下りもなく、大いに無駄使いの削減になる。政治家である政務三役が主導するのであれば、年収2000万円を超える事務次官も不要である。次官・局長級から部長級への降任規定を可能にする公務員制度改革が、霞ヶ関改革の第一歩だ。
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ストリップ接待に見る金融業界の品格
2010/06/10(Thu)
ギリシャの財政破綻懸念に端を発した欧州の財政不安が、南欧から東欧のハンガリーまで伝染し、世界の金融市場を揺るがしている。世界金融危機第2幕の始まりである。

またリーマンショックによる「百年に一度の危機」の後始末である景気刺激策が、巨額な財政赤字となって新たな金融危機を生んでいる。

ギリシャは、公務員の数が多いのと年金の水準が高いことに加えて、政治家は腐敗し、税金逃れが横行し、産業は育っていない。改革を怠った結果、国外から調達した資金で、公務員の給料や年金の支払いなどに充てていた。ギリシャは、巨額の財政赤字を低く見せかける操作をして2001年にEU加盟した。そうとは知らない欧州の投資家や銀行は、ギリシャを信用し、安い金利で国債を買っていた。

ギリシャの債務隠しに加担したのが、ゴールドマン(GS)を筆頭とするウォール街の大手投資銀行だ。ギリシャを含む南欧のユーロ圏諸国(イタリアやポルトガルなど)の債務関連統計の操作にも長らく手を貸してきた。GS側は、ギリシャ政府へ財政赤字比率を改善するために融資したが、借り入れを隠蔽するため、為替スワップ取引という形態で収入として計上させ、法外な手数料を得ていた。ウォール街の複雑な金融技術を通じて、債務ごまかしを手助けしていたのである。

ギリシャに限らず、欧州の多くの国は証券化商品やデリバティブなどの複雑な金融取引を使って、会計報告を実態より良く見せてきた。こうした金融取引を法外な手数料で引き受けてきたのが大手投資銀行だった。

大手投資銀行が行っていた金融取引は、2007年に米国のサブプライム危機が起きた状況と似ている。この時は、貸し倒れになるリスクの高い住宅ローンを証券化商品として大手投資銀行が束ねて投資家に売りさばき、金融のシステミックリスクを増大させた。

しかし投資銀行は、商業銀行と違って銀行預金のようなバッファーを持たないため、あっという間に手元資金が枯渇する弱みもさらけ出した。リーマン・ブラザーズの経営破綻はその象徴である。

米オバマ政権とFRBが行った緊急経済対策と超低金利政策の相乗効果による金融危機対応で、金融不安はほぼ消え去り、巨額公的支援を受けている金融業界は、息を吹き返した。過去最高の報酬を社員に振る舞える状況を取り戻している。

だが巨額報酬復活の実態が明らかになり、金融機関の巨額報酬に厳しい目が向けられ、オバマ米大統領は、金融危機対策で投入した公的資金の回収と報酬抑制を狙った「金融危機責任税」の創設を打ち出さざるを得なくなった。

米国での金融機関幹部の巨額報酬スキャンダルは、米国だけでなく、フランスでも持ち上がっている。金融機関への公的資金注入に対するフランス国民の感情的な不満は強く、政府は批判の矛先が当局に向かぬように、金融機関の締め付けを一段と強化している。

ウォール街の金融機関が過大なリスクテイクに走る背景に、金融機関幹部に対する巨額報酬が元凶であるのは明らかである。金融機関は、巨額報酬を早く稼ぐために.過大なリスクを取る業務に走り、経営破綻したら納税者の血税が使われ、巨額報酬を先に受け取った社員は悠々自適のリタイア生活を実現してしまう強欲には問題がある。 報酬がある水準を超えると強欲が倫理観を凌駕してしまうのである。

ウォール街の巨額な出来高インセンティブ報酬対策をしない限り、金融危機を何回でも繰り返すことになる。米国会社法の仕組みでは、株主総会の議決によらず取締役会の決定で報酬を決定できることに問題がある。会社トップの報酬に対する株主のチェック機能が効いていない。

金融業界のモラルハザード(倫理崩壊)は、金融界のストリップ接待で全米のストリップ・クラブが繁栄しているとの最近の報道記事からも窺える(アエラ記事)。

ニューヨークの金融マンたちの接待は、ストリップ・クラブでの最高水準のステーキの食事とお目当てのラップダンスで米国金融マンや日本人が膝上でさわりまくっている。金融界のストリップ接待は、チップ次第でなんでもありの世界である。全米のストリップ・クラブが繁栄しているのは、金融機関の復活がその背景にあり、顧客の3割を金融機関関係者が占めている。米国では、ストリップ・クラブの支出は、ゴルフコンペやレストランでの接待と同様、税控除の対象になっているそうだ。

しかし金融業界に根付いた、儲けるためなら手段を選ばないやり方は共感できない。実体経済がボロボロになり、戦後最長という雇用減少に直面し、家計を引き締めざるを得ない庶民とすれば、血税投入で救済した金融機関の巨額報酬は、当然容認し難い。ストリップ・クラブで顧客の接待や商談が行われている慣行は、まして許し難い。

格付け会社もまた、寡占体質で競争がないため、ずさんな格付けを行っていたことが原因で、金融危機を招いたと批判されている。日本も含め、巨額な資金と複雑な金融技術を扱う金融界にモラルハザードが起こる度に、金融危機を招く体質には怒りを感じる。公益性を担うべき金融界の品格のなさが、世界中の人々を不幸に陥れている。
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最小不幸社会にベイシックインカム導入
2010/06/16(Wed)
少子高齢化、年間3万人を超える自殺者、雇用、格差、不安定な社会保障など日本が抱える問題の多くは、経済問題に根ざしている。

日本は、先進資本主義国であるのに、ワーキングプア(働く貧困層)が多い。生活保護を受けている人が全人口の0.7%しかいないのに、生活保護水準以下の所得で暮らしているワーキングプアは、全人口の13%に上る。

日本の福祉システムは、企業が中心に担ってきたが、リーマンショック後、企業はその重みに耐えかねており、その役割を企業に担わせようとするのは、もう期待できない。

生活保護は働けない貧しい人を対象にしているのに、働いても貧しい人を救済する制度がないことが、根本的な問題である。ワーキングプアを見殺しにする社会になっている。

この問題の解決策として、新自由主義の創始者ミルトン・フリードマンが、1960年代に社会保障を税に一元化する「負の所得税」を導入した。最低所得にも満たない低所得者から、政府が「マイナスの税金」、つまり最低所得まで所得を給付する制度である。「ベーシックインカム」や「給付付き税額控除」も、「負の所得税」である。

米国でも、「給付付き税額控除」という形で実現している。低所得層の社会参加を促して貧困を解決しようとする発想である。

政府が「ベーシックインカム」を支給して人々の生活を保障するしか、確実に貧困を解消する方策はないである。国民の生活に最低限必要な生活資源は、国が無償で提供することである。

八ッ場ダムのように無駄な公共事業では、投入したコストが鉄とコンクリートに消えてしまう。無駄に働いている仕事にコストを掛けることは、働かないことのコストより大きすぎる。むしろ国は無駄な公共事業をつくるより、直接、人々の所得を保障した方がましである。

「ベーシックインカム」は、現行社会保障制度の仕組みで役割の重なる部分を解消し、一本化していく極めて効率の良いセーフティネットである。

「ベーシックインカム」は直接給付の財源が問題となるが、著名エコノミストの計算によると、今の公共事業、農業保護、中小企業保護、生活保護費などの廃止に加えて、配偶者控除、基礎控除、子どもの扶養控除などほとんどの控除を廃止すれば、直接給付できる予算が捻出でき、財政的に実現可能だといわれている。

菅直人新首相は就任会見で、「最小不幸社会」を作ることが政治の役割とし、その実現に経済、財政、社会保障を立て直す考えを明らかにした。「最小不幸社会」とは、不幸な国民を作らないことである。政治の仕事は、貧困や病気といった不幸を取り除くことではないのか。

菅首相が掲げる「強い経済、強い財政、強い社会保障」は、もともとはスウェーデン政府の理念でもある。スウェーデンは、高福祉・高負担の社会であるが、同時に強い競争力で成長している。北欧で国民負担率が高くても不公平感がそれほど強くないのは、負担と給付の関係が明確だからである。社会保障が充実していて失業しても高齢者になっても心配がない。

しかし日本では、高福祉・低負担によるバラマキ政策などの無駄な税金の使い方が多く、財政破綻を招いている。また自分の負担が自分の生活の安定に使われている実感がないため、重税感が強い。社会保障の負担と給付の関係を明確にして透明性を高めるには、高福祉・高負担の社会を実現するしかない。

世論調査などを見ても、高負担でも高福祉が良いと言う人は6割近くいる。日本人が望む社会は、米国型社会よりも北欧型社会であることは明らかである。

社会保障の充実と財政再建を両立させるには、現行の不公平で非効率な社会保障システムを改革する必要がある。その基本的な考え方は、年齢や地域、所属などでなく、個人の所得に応じて再分配を行なうべきである。

「ベーシックインカム」導入で国民の生活が底上げされ、しかも将来への不安がなくなれば、消費性向が高まって内需拡大になるし、増税も可能になる。

民主党は負の所得税モデルである「給付つき税額控除」の政策を掲げている。バラマキ政策より効果のある「負の所得税」あるいは「ベーシックインカム」を導入すべきである。
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宗教マネーを仕分けせよ
2010/06/22(Tue)
選挙第一の小沢前幹事長はバラマキ政策を推進したが、菅政権は、現実主義路線に大きく転換し、脱小沢マニフェストで財源確保の消費税10%増税を掲げている。

しかし財源確保のためには、消費税だけなく、課税負担に公平性を維持する観点からいって宗教法人にも課税すべきでないのか。

宗教法人は全国に18万もあり、公益法人の「非課税特権」によって守られている。学校や博物館などと同じ公益法人に属する宗教法人は、お布施や戒名料など宗教活動に伴う収入はすべて非課税である。法人税をはじめ、事業税、所得税のみならず、各地にある巨大な宗教施設にも不動産取得税、固定資産税はかからない。

さらに有料駐車場といった営利事業にも、法人税に比べ低い税率が適用される。
つまり本業の宗教活動は非課税で、副業の収益事業は低率課税という様々な税制上の優遇措置が与えられている。

そうした優遇措置を悪用し、宗教法人のカネと税をめぐるトラブルは後を絶たない。宗教法人がラブホテルを経営し、利用料の一部を「お布施」と偽って約14億円を脱税していた事件が摘発されたが、氷山の一角である。

「非課税特権」で得た利益をどんな目的に使われているか不透明である。そのため、休眠宗教法人を買取り転売して利益を得る「宗教法人ブローカー」が、宗教法人を営利目的や暴力団の隠れみのに利用している。

また巨大宗教法人が公益の仮面を被って、政治団体化したり、蓄財目的で営利団体化している。宗教団体なのか、政治団体なのか、あるいは営利団体なのか判らなくなっている。

デフレ不況で国の税収が落ち込む中、「非課税特権」で膨大な資産を作り上げてきた宗教法人に対し、法人税並に課税すれば、年間消費税税収の半分に相当する3兆円以上の税収が上がると言われている。宗教法人の「非課税特権」に問題ありという国民の声が非常に多い。

宗教法人の「非課税特権」が半永久的にすべての面で認められる国は、世界中で日本以外にない。日本が宗教法人天国であるのは、宗教法人法がザル法であるからである。優遇措置を適用する際、政治団体化や営利団体化を審査していないため、巨額で隠れた「非課税特権」の分まで真面目な納税者が支払っているのである。

営利を上げている公益法人の宗教法人が、学校や博物館などと同じ公益法人なんて誰が見てもおかしい。宗教法人は一部の会員を対象にしているから営利法人と変わらず、そもそも公益性があるのか不明である。法人税と同じ税を課せるべきである。

宗教法人が税優遇を受けている以上、社会に対して透明性が求められて当然である。政府が推進する事業仕分けの対象に宗教法人を入れるべきである。宗教法人を、公益がある組織と、そうでない組織に事業仕分けする必要がある。政治団体化や営利団体化しているかを審査すべきである。

政府税制調査会の審議でも、宗教法人への優遇税制に対する問題提起があり、かねてから問題視されていた「宗教法人課税」という重大テーマで、見直し検討が進められている。

民主党政権が宗教法人課税論議に熱心なのは、単に税収増や不公正な税制の是正というだけではない。

公益法人制度改革で官庁が公益性の認定をする仕組みになっているが、宗教法人は対象外である。民主党にはその仕組みを宗教法人にも適用すべきと考えている議員が多い。特に小沢前幹事長は、巨大宗教法人の政治活動がらみで、宗教法人課税に熱心であった。

宗教法人課税で、宗教団体の金の流れを可視化すれば、財政健全化に寄与するだけでなく、犯罪撲滅、治安回復など様々な問題を一掃する社会的効果は大きい。宗教マネーを仕分けすべきである。
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公共人を目指す若者たち
2010/06/29(Tue)
最近の若者は、モノを欲しがらない「嫌消費世代」と呼ばれており、消費好きの上の世代と違って収入に見合った消費をしない。

「嫌消費世代」は、割高な商品は嫌いで節約する傾向が強く、買って後悔すること、将来の負担になるリスクは回避しようとする。

彼らは、自分の夢や理想を高望みせず、空気を読んで皆に合わせる意識が強く、「自由気ままに生きたい」、「おひとりさま」意識の強い上の世代とは対照的だ。

しかしこれまでの世代の若者が、車や住宅などに収入以上の支出をするほど異常な消費欲を見せていただけで、今の「嫌消費世代」の方がまともな消費感覚をしており、健気で逞しい。

今や「嫌消費世代」の台頭が次第に上の世代や下の世代にも共鳴者を増やし、影響力を拡大している。この新たな消費スタイルが経済を揺るがしている。

さらにこの世代は、消費や金銭に依存しない「新しい幸福」を見つけようとしており、社会への貢献を優先する生き方を選ぶ人たちが様々な形で増えている。「社会とつながっていたい」「社会に対してなんらかの貢献をしたい」などと「新しい幸福」を求め、社会貢献に結びつく消費行動が顕著になっている。 

このような消費行動は、「質と絆」を重視するソーシャル消費と呼ばれており、フェアトレード商品の購入や企業の社会的責任(CSR)に熱心な企業の商品の選択など、エコ関連の商品やサービスの購入を通じて何らかの社会貢献をしたいという気持ちを表す消費スタイルにもなっている。個人的な消費も社会的意識や価値観と無縁ではなくなっている。

こうした新しい消費トレンドは、企業のマーケティング戦略にも表れている。企業は「嫌消費世代」の心理に接近して、「新しい幸福」を生み出すと期待される商品を買ってもらおうと、寄付付き商品の開発に力を入れるなど新しい消費の形を探っている。あらゆる業界の企業が、社会貢献に関連した様々な企画を展開している。

「嫌消費世代」の社会貢献志向は、消費行動だけなく、彼らの仕事ぶりにも表れている。

ビジネスの現場で働きながら、「利潤追求だけでなく社会貢献がしたい」「社会のために何かをしたい」と考え、福祉や環境などの分野で仕事以外のアプローチができないかと、社会的役割も個人で担う「公共人」を目指す若者が増えている。会社一筋でやってきた上の世代の姿とは大きく違っている。

財政危機で公共の領域が縮小していく中、若者たちが会社で働きながら、今こそ「公共」を担う新たな存在が必要だと、その形は様々であるが、「公共」に関わることに価値を置く生き方に転向している。

「公共人」という生き方に共感し、これからの社会は自分たちが担っていくという意識の変化が生まれている。「公共人」を目指す若者が、社会の新たな担い手になれるように、社会全体で支えていくことも必要である。
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