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地球温暖化対策基本法がザル法になった
2010/04/04(Sun)
地球温暖化対策基本法は、官僚・産業界・労働組合による猛烈な巻き返しで骨抜きにされ、いまや見る影もない。

地球温暖化防止は、我々の世代が将来世代のためにやらなければならない課題である。

民主党政権は、マニフェストでキャップ・アンド・トレード方式の国内排出量取引市場創設をうたっていたはずだ。

しかし政府の姿勢はぶれ始め、地球温暖化対策基本法は、実質的にキャップのない「排出量取引制度」というザル法になってしまった。

温室効果ガスの25%削減という中期目標を成し遂げるには、「総量規制方式(温室効果ガスの排出量の上限を課す)」が排出量取引制度の根幹であるはずなのに、産業界が求めた「原単位方式(生産量当たりの排出量規制)」が抜け穴として盛り込まれたからだ。

経済活動に応じて排出枠を決める「原単位」を法案に盛り込もうと動いたのは、キャップを嫌う電力と鉄鋼などエネルギー多消費産業の業界団体や労働組合だ。彼らにとって「総量」はきついのだろう。

だが、経済活動が盛んになれば、それに応じて排出量も増える。温室効果ガスの総量規制につながらない。

キャップと国際競争力の強化を結び付けることは、国の経済構造を変えるためにも必要である。また長期的に排出量を9割減らさなければならないとすれば、キャップによる総量規制に頼らざるを得ない。

環境NGOからは、「目標に総量と原単位が混在しており、原単位目標容認では総量削減の担保ができない」「産業界の全体的な排出量が増加するのを認めることになる」などと批判されている。

経済界からも、原単位方式に反対する声があがっている。総量規制を支持する経済同友会の桜井正光代表幹事は、「絶対に総量規制でいくべきだ」との考えを示した。

原単位方式だと、経済成長率、売上高、生産量の増減によって温室効果ガスの排出量が左右されることになり、「地球が求めているのは、効率の向上ではなく、総量をいくらで止めてくれるか」だと明確に語っている。

さらに日本が、原単位で排出権取引をやることになれば、(国家目標として原単位を主張している)中国に「原単位とはなんたることか」と意見する矛盾が出るため、中国に対する説得力がなくなると主張している。

総量規制による企業の負担についても「企業は技術革新で乗り越えられる。対応できない業種業態については別に議論すべきだ」との考えを示している。

真面目に低炭素社会に取り組もうとしている企業や国民の意思を、このザル法が台無しにしてしまう。「経済と環境の両立」という口実はもうやめるべきである。

地球環境の維持を前提とした新しい経済を目指すべきだ。
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無縁社会と暴走する世間
2010/04/09(Fri)
家族や地域、会社などの「縁」をことごとく失って孤立し、人知れずに「無縁死(孤独死)」する人たちが増えている。今、個々の人がばらばらになった荒涼とした風景が日本社会を覆っている。

日本社会を形成してきたさまざまな「絆」が断絶し、深刻な「無縁社会」に突入しているという衝撃(NHK番組)が、ネット社会で大きな社会現象として広がった。

これは誰にでも起こりうる問題で、「自分もそうなるのではないか」との不安や恐怖心を抱く人は多く、「無縁社会」という現実が自分も無縁ではないことを考え直すきっかけになった。

特に30-40代の働き盛りの世代からの反響が大きく、自分と社会とのつながりを不安視するため、「無縁死予備軍です」「ネットとのつながりだけでは救われない」「結婚をはじめて考えるようになった」などの書き込みが目立つようになった。

自分の生活さえ良ければいいと思うおひとりさまや若者の中からも、将来の「無縁死」を恐れる人は少なくない。

孤独死は男性に多いが、女性のおひとりさまは地縁、血縁を当てにしない「女縁」をつくるため、孤独死は少ない。老後のおひとりさまを支えてくれるのは、「ユル友(ユルくつながっている)ネットワーク」だという。

他方で、「無縁社会」の広がりに伴い、将来の「無縁死」を恐れる多くの人を対象に死後の準備をする新たな無縁ビジネスが生まれている。

またシェアハウスで共同生活を営む擬似家族的な新しいコミュニティを創りだす試みも始まっている。

「無縁社会」は、日本独自の問題である。キリスト教の強い欧米では、地域の教会によるコミュニティ形成があり、徹底的にフォローしてくれるため、高齢者の孤独死が少ないという。

西欧では個人を基盤とした「社会」があるが、日本には、「世間」という概念がある。日本人は、「世間」という人と人の絆で支えられている。「世間」の中の「縁」で生きているから、さまざまな人生が展開される。

しかし終身雇用がなくなり失業すれば、「世間」から無縁にされた状態になる。「無縁社会」は、「世間」からつまはじきにされるところから起きるともいえる。

また「世間」が個人を支配・拘束することから、現実逃避をしたり、距離を置いて暮らす人々が急増してもおかしくない。

バブル崩壊以後長く続く経済不安で、「世間」のネガティブな側面が暴走し、個人の自律を認めない権力意識や抑圧感ばかりが目立つようになってきた。

「世間」は排他的で差別的であるため、いじめの醜さの原因になっている。日本人に多い自殺も、決して個人の「心が弱い」からではなく、排他的な「世間」に問題がある。

「世間」の構造を打ち破って、社会全体で「個人を基盤とした社会」をつくり直さないかぎり、「無縁社会」をつなぎとめる「絆」を探すことはできない。
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NPO税制が来年度から大幅拡充
2010/04/11(Sun)
教育や街づくり、福祉などを担うNPO法人の活動を支援する「寄付税制」が、来年度から大幅に拡充される。

「寄付税制」の見直しがようやく始まった。新たな目玉として「税額控除」が導入された。

国が認定したNPO法人に寄付した額に応じて、一定額を所得税から差し引く制度である。寄付金の半額が「税額控除」の対象になる。

現行の制度は、2千円を超えた寄付額を所得税の課税所得から差し引く「所得控除」である。しかしこれだと、課税される所得税率の高い高所得層ほど恩恵が大きく、税率の低い中低所得者の恩恵は少ない仕組みになっていた。

これに対し、新設の「税額控除」は寄付金から差し引いた控除額を所得税額から直接差し引くため、納税額が少ない中低所得層でも優遇措置を受けやすくなる。

硬直化した行政サービスに代わる「新しい公共」を唱える鳩山首相は、「税額控除は、市民と政府(の負担)もフィフティー・フィフティー(50%対50%)がいい」とめずらしくリーダーシップをみせた。

税と寄付金による二段構えで社会保障を負担するというわけだ。さらにNPO以外の学校法人や、社会福祉法人などへの寄付にも「税額控除」を認める方向で検討するとしている。

「新しい公共」には、教育や医療、介護など「官」が担ってきた公共サービスの一部を、NPO法人などに委ね、地域社会の再生や「官」のスリム化につなげる狙いがある。

しかし「新しい公共」の担い手であるNPO法人の資金力を高めるには、認定NPO法人の認定基準を緩和する必要があった。

今回、「仮認定制度の導入」や「認定基準の見直し」などの認定基準を緩和させる方針が盛り込まれたことから、認定NPO法人数の大幅な拡大が期待できる。

だが認定だけで無条件に寄付が増えるわけではない。NPO法人の営業努力も必要である。

これまでNPO法人に対する認定基準のハードルが高かったのは、国が脱税防止の観点から、強い監視を行ってきた経緯がある。

また市民にも、中身が不透明なNPO法人には寄付しない不信感があった。寄付に値する信用に置けるNPO法人の数が少ないからだ。

さらに寄付をする法人は、NPOに対し「手ごたえのある投資効果」を求めてくるため、寄付集めがより困難になっている。

これらに対して、寄付を集めるNPOには、寄付者に対してその資金使途を明らかにする説明責任が求められている。

多くのNPOには、市民との連帯がなく、「市民参加」からほど遠い実態がある。市民社会を担うには非力すぎるNPOの質を向上させる政策が必要だ。

そのためには、中間支援組織や行政などの第三者による客観的な評価と、透明性の高い情報公開で望ましいNPO像を市民に提示していくことが重要だ。

社会を支える寄付文化に発展させるには、まだまだ乗り越えなければならない数多くのハードルが残されている。
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沖縄密約判決と情報公開制度見直し
2010/04/14(Wed)
沖縄返還に絡む「密約文書」の全面開示を国に命じた東京地裁判決は、画期的であった。

「密約文書」は、米国が負担すべき米軍用地の原状回復費用400万ドルを日本側が肩代わりした事実を示す文書をはじめ、国民の血税を不当に支出した「背信行為」を裏付ける文書などだ。

「密約文書」にサインした当事者の証言から「存在すること」が裏付けられた文書を保有してきたはずの外務省に対し、文書を破棄したことの立証責任を求めたのだ。

「情報公開」が最も難しい外交や防衛にかかわる問題で、「国民の知る権利」をないがしろにする外務省の対応は不誠実であると断じた。

外交機密を盾にウソをつき続けてきた歴代政府は、主権者を見下して説明責任を放棄したまま背信行為を繰り返してきた。

機密の外交文書は一定の年月が過ぎたら国民に「情報公開」されるべきなのに、文書管理の責任を放棄し、将来の国民に対する説明責任も果たしていない。

「密約文書」の廃棄は「情報公開法」の施行直前だった可能性が大きいとされている。不都合な情報を隠す官僚の悪弊は国民を愚弄するものだ。

他方で、説明責任を放棄したまま根拠なく否定を続ける政府や外務省の体質を十分に追及してこなかったメディアの報道姿勢にも責任が問われる。

今回の判決は、国の情報に対する「隠ぺい体質」を厳しく批判した。「国民の知る権利」を重視した意義は大きい。

枝野行政刷新相が、国民の行政参加を促す観点から情報公開制度の抜本的見直しに着手した。

情報公開を巡る訴訟の際、不開示と決定された文書や黒塗り部分を裁判官が直接読み、開示の是非を判断できるようにする制度の導入が柱になっている。

また法律の目的として「国民の知る権利」を明記する。改正案は6月中にまとめ、早ければ秋の臨時国会に情報公開法改正案を提出する見通しだ。

現行法では、情報公開の可否を文書の所管省庁の大臣、実質的には官僚に委ねる仕組みになっている。

これに対し、改正案素案では、裁判で裁判官が直接、不開示の文書や情報の中身を見たうえで、開示の可否を判断できる「インカメラ審査」を採用する。大臣ら行政側だけでなく、裁判官が実質的な判断に加わることで、公開の範囲を広げる狙いがあるという。

また年金記録問題などずさんな公文書の管理が明らかとなったことから、「文書管理法」が来年から施行される。

公文書は官僚の所有物ではない。国民共有の知的資源だ。

情報を生かすも殺すも市民の意識次第である。官僚の意識改革は、「情報公開」と「市民参加」の促進なくしてはあり得ない。
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ゲイツ原発は必要なのか
2010/04/19(Mon)
地球温暖化の懸念や原油価格の高騰で、再注目されるようになった原子力発電。CO2削減という口実により、世界中で原発増設のラッシュが続いている。

主要8か国(G8)に中国、インド、韓国を加えた11か国による2008年の「青森宣言」以来、多くの国が原発推進に積極的である。中国の原発建設計画は100倍以上、インド、東南アジア、中東など新規に導入する計画が目白押しである。

原発の市場規模は170兆円に膨らみ、原発バブルとなっており、原発受注合戦が過熱している。

しかし日本の原発メーカーは、途上国における原発建設の受注を、新興国のロシアや韓国に相次いで奪われてしまい、原発ビジネスの勢力図が大きく変わった。ウラン原料の精錬から原発運転まで一環して任せられる体制が求められるようになったからだ。

危機感を持った日本企業や政府は、官民共同の「原発輸出会社」の設立を立ち上げた。原発ビジネスは、原子炉建設だけなく、廃炉の解体も莫大なビジネスになるため、電力会社、プラントメーカー、ゼネコンにとって安定した収入源である。民主党政権の原発政策は、自民党政権以上に原発ビジネスを積極的に推進する姿勢を示している。

原発市場が盛り上がる中、マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツが東芝と組んで新顔として原発ビジネスに参入してきた。

ゲイツが出資する原子炉開発ベンチャーの米テラパワー社は、TWR(進行波炉)と呼ばれる次世代原子炉を開発しようとしている。TWRは、燃料である劣化ウランを核分裂性プロトニウムへ徐々に転換する原子炉で、再処理や濃縮を必要としない。ゲイツ原発は、高速増殖炉「もんじゅ」の親戚みたいなもので、いわばミニもんじゅである。

だがTWRのネックは、エネルギーを取り出す冷却材にナトリウムを使用するため、ナトリウム漏えい対策の維持管理がやっかいである。さらに何十年間も稼動し続ける原子炉のため、長期の放射線照射に耐えられる構造材が不可欠で、実用化するには未解決の課題が多いとされている。TWRはまだ机上の理論だ。理論を形にするには、「もの作り」の能力が欠かせないため、ゲイツは東芝が開発中の超小型高速炉(高温の液化ナトリウムが循環する)をお忍びで見学に来たと報じられた。

しかし実用化まで何十年かかるかはわからない「夢の原子炉」に依存しなくても、小規模の発電装置が利用できる時代になっている。

火力発電所、自動車、工場 焼却場などからの廃熱が、未利用のまま大気中に大量廃棄されている。工場など産業用に使用されるエネルギーの約4割は、廃熱として捨てられている。すべて活用できれば、国内の全原発分に匹敵するエネルギー源となるという。これを回収・有効利用する技術への関心は非常に高い。 

これまで宙に消えていた工場のわずかな廃熱で電気を起こす「プチ発電」が広がっており、工場向け発電装置の開発合戦が始まっている。排ガスの熱による発電機スターリングエンジンも実用化されている。企業にとって自社のCO2ガス排出量削減は収入につながることから、廃熱発電の需要増加が見込めるとして新たなエコビジネスが育っている。

原発による核分裂エネルギーの3分の2は、発電所からの温排水や送電線からの送電ロス(廃熱)という形で、直接環境に捨てられている。しかも遠隔地からの電気を家庭や工場で再び熱に戻すのは、非効率な使い方である。電力も地産地消にすることで、送電ロスがなくなる。そのため、消費地域での廃熱を利用するコージェネレーション・システムにより、発電しながら廃熱で冷暖房や給湯を行うことが盛んになっている。

原発はCO2を出さないが、放射線廃棄物の処理方法がない。また原発の大量廃炉時代を迎えており、原子炉解体によりコンクリートや金属片などの放射性廃棄物が大量に発生する。さらに将来起こる巨大地震による原発震災への備えも十分とはいえない。原発などの大規模発電所に障害が発生したら、失った発電量を支えるだけの代替発電所が必要になる。

原発増設は、地域社会のためにもならず、次世代に莫大な負の遺産を残すことになる。放射線廃棄物の処理方法がない原発をつくらなくても、小規模発電による廃熱発電、太陽光発電 地熱発電、風力発電などで安全なエネルギー開発を進めるべきである。分散化した代替エネルギーの進化で原発の比率を下げる努力が必要である。
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マネーの哲学:金融危機後、変わるお金の流れ
2010/04/23(Fri)
お金は、本来、モノや労働など互いに必要とするものを交換する手段として使われていた。

だがお金は、財産や資産の機能を持っているため、溜め込まれと流通しないお金になってしまう。

またお金には、金融や株式市場を通じてやりとりされる資本機能も与えられているため、お金そのものが、マネーゲームを介してお金を手に入れるための道具にもなっている。

いくらでも印刷出来る紙幣、さらにコンピュータ上を飛び交う数字に変容した電子マネーが、実体のないままに、世界中を駆け巡っている。

名作「モモ」で知られる童話作家エンデは、お金自身が商品になってしまうのはおかしいことを指摘し、「生活のためのお金を、商品化したお金から守れ」と警告をした。

だがエンデの予言どおり、リーマンショックによる世界金融危機で、公益性の高いはずの金融機関が実体経済にお金を回さずに利益一辺倒の投機的な金融を行い、自ら金融仲介機能を破壊してしまった。

ヘッジファンドにとっては、規制格差、為替格差、価格差、税率格差、貧富の格差、情報の格差など世界に存在するありとあらゆる「格差」が、利益の源泉になっている。

国と国を隔てる「経済的格差」があるところに、その間隙をついてマネーの利益チャンスは無限に広がっていく。いわば格差を生む構造が、マネーの資本機能を暴走させ、人々の生活や生産の場を混乱させている。ヘッジファンドにとって一国の経済がどうなろうと知ったことではないである。ギリシャの債務問題にも同様の構図が透けており、一国の経済を材料にして大きく稼ごうとしている。

金融危機後、投資に明け暮れた国々は、企業も政府も膨大な負債を抱えており、成長は望めない。巨額の利益が生まれれば、一部の企業が手にするが、巨額の損失が生じれば、国民全体で被ることになる。こうした公正さを欠くシステムは、もはや容認されない。

その中で、もう一つの金融のかたちとして「社会的金融」に注目が高まっている。

「社会的金融」は、金銭的な利益だけではなくて 社会的な達成目標を持ち、人間や環境を重視する金融である。いわば奪い合う経済から支えあう経済である。

特にヨーロッパでは、イタリアの倫理銀行、オランダのトリオドス銀行、フランスのNEF、ドイツのGLS、スウェーデンのエコバンケンなど、各国で「社会的金融」の展開がみられる。

他の巨大銀行が金融危機で巨額損失を出したのに、「社会的金融」を旗印にするトリオドス銀行やイタリアの倫理銀行は無傷であった。

巨大な銀行が株式市場に投資して、高配当を得ようとしている実態が明らかにされたことに対して、ヨーロッパの人々は、これを止めるべきだと考えるようになった。そして自分の子供たちのためには、こんな社会にはしたくないと考え、一般の金融機関から貯金を引き出し、倫理銀行に預け始めた。低金利でも急激に貯金が増えて、今では最も持続可能な銀行とも言われている。

「社会的金融」だけでなく、地域通貨、NGO/NPO、協同組合、フェアトレード、マイクロクレジット、市民金融と呼ばれるNPOバンクやコミュニティビジネス、エコファンド、社会責任投資(SRI)などがつくる「小さな経済」が、「連帯経済」と呼ばれている。

市場原理にもとづく利益最優先の経済の仕組みに対して、「連帯経済」とは、社会的な持続可能性を支える経済でもある。持続可能性の観点から、必要だと考えられるところにお金の流れをつくろうとする積極的な金融行動である。

政府は、一般の金融機関よりも、倫理銀行のように、これまでのやり方とは異なるオルターナティブな銀行を後押しすべきである。

金融機関に返済猶予を促すモラトリアム法では、根本的解決にはならない。むしろ、社会目的にあったビジネスに投融資すれば、税控除が得られる政策的インセンティブが必要である。

預金が持続可能性に結びつくことを考えれば、我々一人ひとりが金融機関を変えるという意識を持って行動することが重要である。こうした金融行動が経済の流れを変えるのに有効である。
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事業仕分けの本丸は特別会計だ
2010/04/28(Wed)
行政コストを削減する目的で公務員改革が叫ばれて久しい。

ようやく天下りや税金の無駄遣いの温床とされる独立行政法人(独法)と政府系の公益法人に対し、事業仕分けによるメスが入った。独法の改革は、公務員改革の入り口に過ぎない。

民主党のマニフェストで、独法は「全廃を含めた抜本的見直し」、公益法人は「原則廃止」、国家公務員は「総人件費の2割削減」を約束した。だが、公務員労組の支援を受ける民主党政権の本気度が問われている。事業仕分けは、納税者の参加意識を高めることから、単なるパフォーマンスで終わらすべきではない。

天下りは、政官業の癒着を招くため、税金の無駄遣いと不正の温床となっている。独法の中には、委託された業務を再天下り先となる公益法人やファミリー企業に随時契約で仕事を流し、割高な経営をしているところがある。

独法は、国から運営費を出してもらって、省庁からは仕事をもらい、公務員と違って給料を自分たちで勝手に決められるのだ。

また省庁―独法―公益法人と、いわゆる「渡り」を繰り返し、多くは天下り先の報酬に加えて2回以上の退職金を受領し、中には、4重取りした省庁OBもいるという。公務員は、よく税金泥棒と言われるが、税金泥棒どころか、国民の信頼を裏切り続ける盗賊集団ようだ。

さらに労働組合の強い省庁では、ヤミ専従が行われており、税金が横領されていても刑事告発できない。他国では立派な重罪犯罪であるのに、日本は、未開発国と同様、公務員が好き勝手に税金を横領している国である。国民の血税が、いつまでも無駄遣い・天下り・渡り・横領などに使われ続けている。

公務員給与も民間に比べて高すぎる。官民格差解消のため、公務員給与を民間平均年収430万円にするだけで 国と地方の公務員人件費が10兆円以上の歳出削減ができる。 それに、官僚OBの天下り・渡りに使われる年間10兆円以上の税金支出を全廃すれば、 公務員人件費削減分と合わせて合計20兆円以上の歳出削減ができる。

国の財政赤字で、借金となる赤字国債発行額を積み上げないためにも、無駄遣い・天下り・渡りなどの関連費用は大幅に削減すべきである。

これまでの事業仕分けは、「一般会計」の予算が対象であったが、「特別会計」の予算は、「一般会計」の規模よりもっと大きい。2010年の「一般会計」予算は92兆円で、これに対して「特別会計」予算は、381兆円で4倍規模だ。歳出純計は、176兆円にもなる。「特別会計」は、「一般会計」以上に天下り放題で、無駄遣いの温床になっている。

そもそも「特別会計」は、各省庁が特定事業を行うために設けられた目的限定の会計で、原資は税金や保険料である。「特別会計」は戦後復興期から高度経済成長期に設けられたものが多く、すでに役割を終えているものがある。「特別会計」は、全廃を前提とすべきである。

しかし「一般会計」と違って国会のチェックが甘いため、所管省庁は好き勝手に使い、余剰金を貯め込んできた。ここから天下り先の独法にも予算が回されている。「特別会計」のおかげで公務員が甘い汁を吸い、デタラメがまかり通っている。

JAL破綻で注目を集めた空港整備の特別会計などは、典型的な悪例である。「特別会計」でムダな空港を造り続け、族議員は空港建設で業者に利益を誘導し、官僚OBは関連団体に天下っている

「特別会計」の闇にこそ、事業仕分けのメスが、斬り込んで行くべきである。
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