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このブログについて
2009/07/05(Sun)
「「持続可能な社会」というと、環境問題がよく取り上げられる。

だが環境問題は、経済のありかたの問題でもあり、政治のありかたの問題でもある。すなわち、複雑な社会のしくみそのものが問われている。

人は生まれながらにして社会の中に投げ出されている存在であるため、「持続可能な社会」のしくみに変えていかなければ、人は生きていけない。

しかし「持続可能な社会」には、最初から処方箋が用意されているわけでない。政治に頼らず、行政に頼らず、自分たちの手で地域社会をつくる必要がある。自分たちの力で社会を良くしていくことが大事だ。

「持続可能な社会」の実現には、個人一人ひとりが自らの課題に取り組み、多様な担い手と協働することが重要になる。

当ブログは、「持続可能な社会」の実現に向けて個人的に思う課題解決について書き綴っております。
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女性や高齢者の活用が、持続可能な経済社会を実現
2009/12/11(Fri)
日本は、経済効率を優先した企業中心社会を形成することで経済発展してきたが、一方でその弊害や問題点が多岐に亘っている。特に企業中心主義は、企業組織の論理を優先するため、生産活動を支える就業者の生活全般が企業と一体化し過ぎており、弊害が大きい。また若年労働力による生産活動を前提にした企業中心社会は、生産活動や社会参加が少ない高齢者や女性への配慮がない経済社会システムになっている。

政府の高齢社会白書(2009年版)によれば、全人口に占める65歳以上の高齢者の割合は22.1%に達し、75歳以上の高齢者は10.4%と1割を超えている。4人に1人が高齢者になると、総人口の半分近くが生産活動しない人(就業前の人口も含め)で占められ、生産年齢人口がさらに減少するため、社会の活力が衰退する。国の財政赤字で増税や年金保険料を上げても、総人口の半分を占める高齢者や子供を養うことはますます困難になり、いずれ社会福祉サービスが破綻する可能性がある。人口高齢化は、年金、介護、医療などで社会的負担を増大させる問題として捉えられ、ネガティブなイメージになっている。

しかし、65歳以上の高齢者の大半は、医療や介護の対象になっておらず、健康であり、しかも就業意欲や社会参加意欲が高い。こうした高齢者が、高齢化社会の進展に伴いさらに増加するにもかかわらず、現在の経済社会システムは、高齢者のニーズや社会貢献ポテンシャルに応えていない。高齢化の進展に対応するためには、社会的仕組み作りを含め、社会全体の問題として取り組むべきである。高齢者は、長年にわたり知識や経験を積み、様々の事に熟達していることから、地域社会の社会資源として活用すべきである。

一方、未就労の女性も経済社会において十分に活かされていない。女性の就労率は先進国の中で下位にある。少子化が進む日本は、労働力確保に女性の人材活用が重要である。女性の高学歴化が進んでいるにもかかわらず、就業率が低く、男女格差が広がっている。女性の約7割は、出産を機に退職するため、その大半が育児休業制度を利用していない。

また子供が成長した後に再就職しても、低賃金で不安定な「自分の能力以下」の仕事が多い。所得税や保険年金制度の仕組みと同様、企業の配偶者手当の仕組みも、専業主婦である妻の就労に対して抑制的である。高学歴女性でもキャリアと母親業の両立が困難な状況であり、人的資本への投資が無駄になっている。女性のキャリア進出を阻む「ガラスの天井」は、日本において最も顕著である。さらに専業主婦の妻を持つ男性は長時間労働であるため、妻に無報酬での育児や家事労働を強いている。

女性の社会進出を促す政策が必要である。配偶者控除等の在り方を含め、サラリーマンの妻が就業形態を自由に選択して働くことを妨げないよう、所得税・社会保障制度の見直しが重要である。そのうえで、母親の就労を支援するため、現金給付の子ども手当より、保育園を拡充して待機児童をなくす政策を優先すべきである。人口減少による日本の将来の労働力不足を回避するためには、働く母親への支援策が必要である。

国連開発計画が公表している女性の社会進出度を示すGEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)は、発展途上国よりも下位にある。欧米の先進国では、80年代の経済危機下の産業構造転換を女性の人材活用で乗り切ったこともあって、女性の活用は、産業再生に不可欠であるという常識になっている。世界的にも女性の活用は、競争力の柱になっている。GEM順位が示すように、日本は、経済発展のわりには、女性の活用が進んでいない。男女雇用機会均等法が施行されているのもかかわらず、男女の賃金格差などの改善が依然として進んでいない。

障碍者もまた潜在的人材でありながら、社会で十分に活かされていない。米国では、障碍者が、神からチャレンジという使命を与えられた人として、チャレンジドと呼ばれている。障がいをマイナスとのみ捉えるのでなく、社会のため、ポジティブに生かして行こうという考え方である。ハンディキャップは個性ではなく、新しい力でもある。日本も、チャレンジドが自立・参加により能力を発揮できるように、就労支援、発達支援、多様な働き方、自己実現を選択できるような社会環境の整備が必要である。

生産年齢人口の減少を抑制するためにも、潜在的人材である高齢者、女性、障碍者、若者などが、就労・社会参加できる経済社会システムに転換することが重要である。働く意欲のある全ての人々が、年齢、性別、就業形態に関係なく能力を発揮する「全員参加型社会」の実現に便宜を図る法制度の整備が求められる。
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個人が過重なリスクを背負う社会
2010/03/24(Wed)
国民の幸福度を表す指標づくりが最近、注目されている。

国の豊かさというと、「国民1人あたりGDP(国内総生産)」で測られることが多い。

GDPは、人間の幸福に役立つ、役立たないに関わらず、あらゆるモノの生産や流通を単に合計しただけである。さまざまなマイナス要因も、お金さえ動けばGDPに加算されている。

だが「幸福度」で調査すると、先進国で最低に近い水準である。他国と比べて「幸福度」の差は歴然で、さらに自殺率が非常に高いことから日本の経済・社会・政治の仕組みに根本的な欠陥がある。

幸福になれない要因のひとつとして、年齢に関係なく、働き過ぎる長時間労働の問題がある。労働時間に関する規制が弱く、終身雇用保障の代わりに長時間労働を強いられている。また労働法には「同一労働同一賃金」の原則がない。

サービス残業や過労死・過労自殺が大きな社会問題になっているにかかわらず、国と企業は一向に、過労死・過労自殺に対し歯止めをかけようとしない。歯止めどころか、さらに過酷な労働環境を作り出し放置している。

非常識な長時間労働前提の働き方を見直さなければ、家事、育児の分担は困難で、女性の就業が難しくなる。日本の少子高齢化はさらに深刻化する。

若者は非正規の不安定雇用や長時間労働で結婚できない。少子化対策には正規雇用を拡大し若者の自立を促し、長時間労働の是正に取り組むことが必要である。

日本は企業中心社会である。しかし企業が労働者の人生を支配する雇用制度や福祉制度は、非正規雇用の拡大で機能不全状態にある。

こうした雇用・福祉リスクについては、個人でリスクを抱えるのではなく、社会全体で公平にリスクを共有すべきである。性別や雇用形態に差別されない公平な労働市場を確保することが重要である。

すなわち「同一労働同一賃金」「男女間や正規・非正規雇用の均等待遇」「総労働時間規制を強化したワークシェア及びワークライフバランス」の実現が不可欠である。

さらに幸福になれない要因として、日本の再分配政策の機能が弱いことにある。所得格差の拡大が社会問題化し、失業、賃金下落、倒産といった経済的リスクを個人が負うことは、合理的ではない。

日本人が幸福を感じないのは、「個人」が過重なリスクを負担する社会で、希望の喪失した閉塞感があるからだ。

「社会全体」が公平にリスクを負担する社会へシフトするためには、欧州型の雇用・福祉制度に改革する政策の転換が必要だ。

生活の糧を失った人でも容易に再挑戦できる寛容な社会を作らない限り、幸福度が高まることは望めない。
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社会を変える情報交換システムになったフェイスブック
2011/02/12(Sat)
チュニジアの独裁体制を打倒した市民デモの動きが、エジプトにも波及し、ムバラク大統領の辞任まで追いつめた。民衆を動かしたのは、インターネット上の世界最大のソーシャルネットワークサイト、「フェイスブック」だ。

「フェイスブック」やツイッターが、以前には吸い上げらなかった民衆の声を顕在化させたことで、民主主義の実現に役立ったと言える。情報発信力を持つインターネットの時代に、強権政治を支配することは難しくなった。

「フェイスブック」は、使い勝手の良さと実名主義が最大の特徴だ。全世界の利用者は6億人で、10人に1人が、実名で仕事から趣味まで個人的な情報を交換する場になっている。顔が見えるコミュニケーションによって信頼関係が構築され、リアル社会と同様に、家族、友達、同僚とのつながりを通じて人間関係の深化や開拓ができる。

ビジネスでも集客・新規顧客開拓などに、「フェイスブック」なしでは、コミュニケーションが成り立たなくなっている。

米国企業の約8割が、「フェイスブック」を宣伝やマーケティングに利用する理由として、ユーザーの反応の良さを挙げている。「自社ホームページ」と同じ感覚で利用できるからだ。

グーグルなどの検索サイトよりも、「フェイスブック」のSNS経由での訪問者数が上回っており、ネット上の巨大コミュニティになっている。「フェイスブック」社員のうち,約6割以上はグーグルから転じたという。

「フェイスブック」は、すべてのサービスの入口になる潜在能力がある。今後もあらゆる機能やサービスをのみ込んだプラットホームとして、膨張しつづける。

「フェイスブック」創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏らを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」の公開も重なり、「フェイスブック」をテーマにしたビジネス誌の特集や、セミナーは大盛況だ。今や「フェイスブック」は、社会を変える情報交換システムになっている。

しかし膨大な個人情報がどこでどう管理させているのか、不安はつきまとう。一歩間違えば、監視社会にもなりかねない。

日本は、ソーシャルネットワークは匿名であり、「フェイスブック」が広がっていない数少ない国である。まるで実名でつながった広大な海に浮かぶ匿名の島になっている。「フェイスブック」が日本で振るわないのは、徹底した実名主義が敬遠されているからだ。

堂々と顔や実名をさらすのが当然という欧米の常識が、日本にはなじまない。顔を見せぬつつましさが日本の美徳になっている。コミュニケーションの文化やスタイルが欧米で違うため、匿名にしたがる日本人には違和感がある。

タイガーマスク現象が日本各地で広がったのは、素顔を隠す「マスク」が大きな役割を果たしたことからも分かる。

だが匿名からは、持続的な双方向のコミュニケーションは生まれない。善意のネットワークは、「マスク」を脱げば、もっと広がるとも言える。

ネット社会は、リアル社会の姿を映し出している。0か1かの二次元情報しかなく、中間がないデジタル思考は、思考を単純化する。大賛成か大反対かしかない世界で、白か黒かを決めたら、それ以外は受け入れない空気になっている。本音を語ることができない。

同質な集団の中で、同じ話題を共有するノリが大事になっている。多数派意見に流されてしまい、他人の顔色を見てからしか行動できない。その最たるものが、政治だ。確固とした態度が取れないからだ。賛成か反対かの政治的対立で混乱して、何一つ物事が解決できない。日本社会は、多くの政治的対立の問題をハンドルできなくなっている。

へたなことをつぶやけば、一気に攻撃対象になる。フォロワー数で強者が決まっていくツイッターの世界に身を置くと、そうした危険性とも背中合わせになる。

誰でも自由に利用できるソーシャルメディアは、たくさんの情報が収集できて便利である反面、情報がありすぎて自分の価値観が信じられる人は少ない。他人思考がどんどん広がり、自分で考えることができなくなっている。

ネット社会もリアル社会も複雑な問題をどんどん単純化して、集団的思考停止の状態に堕ちている。
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解決策のないリスク社会
2011/05/20(Fri)
原発は安全でクリーンでないことが一夜にして明らかになった。

原発事故というブラック・スワンは、メルトダウンという制御不能な結果をもたらした。これまで国は、原発事故になる確率が「隕石が当たって死ぬ程度の無視できる大きさ」だと主張していたのが、簡単に起きてしまった。

最悪の事態を想定してこなかった東電は、震災直後からメルトダウンしているのに、眼前の現実を認めず、後手ばかり繰り返している。後から後から深刻な事態が明るみになる。最悪の場合、何が起こるかという最大値の問題に取り組んでこなかったからだ。

地震や津波が起こる場所に原発を建設したのは、政府や産業界などの人間が決めたことで、想定外でも、自然が決めたことでもない。人間自身が制御できない結果を生み出している。

しかもその結果に対して、誰も責任を取らない。政府と電力業界が、なれ合いによる対応の甘さから、組織化された無責任システムが出来上がっているためだ。問題が起こると、その負担を国民に回すことばかりする。

原発コストには、巨額な補助金も、未だに処分が決められない使用済み核燃料の除去コストも算入しておらず、粉飾まがいの構図そのものだ。

人間が作り出した限界のないリスクは、原発だけない。地球気候変動、グローバル化した金融経済、政党政治、ナショナリズム、マスメディア、テロなど多くのリスクにも限界がない。人間の意志決定でリスクが生まれているからだ。

世界的ベストセラーとなった「ブラック・スワン(不確実性とリスク)」は、人間には不確実性を扱えない根本的欠陥があることを指摘している。人間は、自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていないのだ。

リスクの大きさに見合うだけの解決策が全くないのだ。今の制度は、原発事故などの大きな問題解決のために設計されていない。

制御不能なリスクは絶対に避けなければならない。今まで政府や専門家が何がリスクで何がリスクでないのか、決定する権限を独占してきた。そこには市民が不在で透明性もない。市民運動が起きないと、産業界と政府の間に直接的な結びつきができてしまう。

不都合な情報を隠す政治を透明化するには、強い市民社会が必要だ。問題を広く見える形にするには、民主主義だけではなく、市民社会の関与も必要だ。

最終決定できるのは、政府や専門家ではなく、市民社会の健全な判断しかないのだ。

日本は、市民社会がしっかりしているから、政治が貧困なままでいられる。政治家が国民に甘えているからだ。いつまでも解決策を先送りばかりする無責任な政治家に国民生活を安全に守る資格などあろうはずがない。
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