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サリンジャーと大人になりきれない若者たち
2010/02/12(Fri)
世界中の若者の心をつかんだ永遠の青春小説『ライ麦畑でつかまえて』で知られる、謎に包まれた伝説的作家J・D・サリンジャーが亡くなった。

『ライ麦畑でつかまえて』は、自意識過剰で大人になるのが嫌という若者像を初めて描いた作品であった。この本が出版された1951年は、マッカーシズム(赤狩り)がアメリカ社会に吹き吹き荒れていて、「自らが標的となること」に対する恐怖が現れていた時代であった。弱い自分を保護してくれる存在がいないと感じたサリンジャーは、主人公ホールデン・コールフィールドを通して、せめて自分は「広いライ麦畑で遊んでいる純真無垢な子供たちが、欺瞞に満ちた大人社会という崖下に落ちないように守ってあげるキャッチャーでありたい」という願望を語った。

ホールデンは大人社会の欺瞞と偽善に耐えられずに社会を拒否し、うまく大人としてのアイデンティティーを確立することができない。誰しも大人への過渡期に経験する社会への不信感、反抗、精神的不安などの戸惑いを通して、自分が本当の自分として生きてはいないという人間の孤独や疎外感が、この作品の主題であった。

主人公ホールデンの考え方や行動は、深い影響力を伴って社会に浸透していった。1960年代にはヒッピーが社会からのドロップアウトにも意義があることを主張し、社会に対して覚めた目で見る若者たちが多く登場するようになった。小説に描き出された反社会的、反倫理的な生き方が、世界中の若者のライフスタイルとなっていった。

若者たちは、古い秩序の縛りから自由になり、主体的に活動するようになると、子どもから大人への移行する様式も多様化した。

しかし、バブル崩壊後、日本経済が長期的停滞に陥って以来、大人への移行のあり方が激しく変化し、ニートやフリーターが生まれた。移行が長期化するに伴い、親への依存も長期化して大人としてのアイデンティティーの確立が一層困難となった。ピーターパン症候群とも呼ばれるようになった。

大人になりきれない若者たちは、束縛されている社会の中でモチベーションがあがらないまま、不平や不満を募らせ、苦しみもがき生きている。彼らは、同じであることを求める社会の中で、人と違いたいと思っているため、服従することに耐えられなくなっている。外の世界が非情で危険なら、家の中に閉じこもっている方が安全と考える「引きこもり」の若者が増えるようになった。

格差社会の中で、社会的に疎外され親に保護されて生きているニートや「引きこもり」の若者が、日本の現代の病理を映していると言える。

戦争体験による後遺症から社会との接触を絶ったサリンジャーも、「引きこもり」であった。「引きこもり」の若者たちとホールデンやサリンジャーには、共通したメンタリティが見られる。

だが、同じく「引きこもり」であったニーチェは、『ツァラトゥストラはこう語った』で、汚れだらけの世の中に裏切られても、強い意志で反撃宣言をした。「人間は不潔な河流である。汚れることなしに不潔な河流を呑みこむことができるために、我々は大海にならねばならない」と、人間は弱い存在であるため、強い意志で乗り越えられないといけない存在なのであると語っている。これは弱さを許さない大人の世界である。

若者たちは、こうした弱さや失敗を許さない大人の社会の影響を強く受けており、自分の弱さや未熟なところを他人に見せることを極度に恐れ、いい人を演じていかざるを得ない。それができない若者は、不登校、ニート、引きこもりになったりする。こうした若者には、親身になって関わっていくことが必要だ。そのためには、格差社会をつくった大人たちがまず、ゆとりをもって他人を思いやることができるような懐の深い社会にしていくことが先決ではないだろうか。
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公共人を目指す若者たち
2010/06/29(Tue)
最近の若者は、モノを欲しがらない「嫌消費世代」と呼ばれており、消費好きの上の世代と違って収入に見合った消費をしない。

「嫌消費世代」は、割高な商品は嫌いで節約する傾向が強く、買って後悔すること、将来の負担になるリスクは回避しようとする。

彼らは、自分の夢や理想を高望みせず、空気を読んで皆に合わせる意識が強く、「自由気ままに生きたい」、「おひとりさま」意識の強い上の世代とは対照的だ。

しかしこれまでの世代の若者が、車や住宅などに収入以上の支出をするほど異常な消費欲を見せていただけで、今の「嫌消費世代」の方がまともな消費感覚をしており、健気で逞しい。

今や「嫌消費世代」の台頭が次第に上の世代や下の世代にも共鳴者を増やし、影響力を拡大している。この新たな消費スタイルが経済を揺るがしている。

さらにこの世代は、消費や金銭に依存しない「新しい幸福」を見つけようとしており、社会への貢献を優先する生き方を選ぶ人たちが様々な形で増えている。「社会とつながっていたい」「社会に対してなんらかの貢献をしたい」などと「新しい幸福」を求め、社会貢献に結びつく消費行動が顕著になっている。 

このような消費行動は、「質と絆」を重視するソーシャル消費と呼ばれており、フェアトレード商品の購入や企業の社会的責任(CSR)に熱心な企業の商品の選択など、エコ関連の商品やサービスの購入を通じて何らかの社会貢献をしたいという気持ちを表す消費スタイルにもなっている。個人的な消費も社会的意識や価値観と無縁ではなくなっている。

こうした新しい消費トレンドは、企業のマーケティング戦略にも表れている。企業は「嫌消費世代」の心理に接近して、「新しい幸福」を生み出すと期待される商品を買ってもらおうと、寄付付き商品の開発に力を入れるなど新しい消費の形を探っている。あらゆる業界の企業が、社会貢献に関連した様々な企画を展開している。

「嫌消費世代」の社会貢献志向は、消費行動だけなく、彼らの仕事ぶりにも表れている。

ビジネスの現場で働きながら、「利潤追求だけでなく社会貢献がしたい」「社会のために何かをしたい」と考え、福祉や環境などの分野で仕事以外のアプローチができないかと、社会的役割も個人で担う「公共人」を目指す若者が増えている。会社一筋でやってきた上の世代の姿とは大きく違っている。

財政危機で公共の領域が縮小していく中、若者たちが会社で働きながら、今こそ「公共」を担う新たな存在が必要だと、その形は様々であるが、「公共」に関わることに価値を置く生き方に転向している。

「公共人」という生き方に共感し、これからの社会は自分たちが担っていくという意識の変化が生まれている。「公共人」を目指す若者が、社会の新たな担い手になれるように、社会全体で支えていくことも必要である。
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いじめを生み出す空気を読む社会
2012/09/29(Sat)
いじめがまた問題化している。1980年代初めに社会問題となったいじめは、その後も、自殺を機に問題化しては、やがて沈静化することを繰り返している。昔からあったいじめが、社会問題となったのは、情報化社会への変容により、学校空間のコミュニケーション環境が大きく変化し、子供が感じる閉塞感が増大してきたからだ。

大津のいじめ事件のように、いじめの存在さえ認めず、次々と言い訳をする教育委員会や学校は、腐っている。学校現場は、何故いじめに向き合わず、いじめを隠蔽するのか。いじめ解決まで膨大な報告書の作成に大量の時間が費やされるのに、教育現場が嫌がっているからだ。人事評価への悪影響を心配し、いじめ報告を嫌がる校長や教頭も多い。その上、教育委員会は形骸化し、学校とのなれ合いが、いじめ問題ヘの隠蔽体質を生んでいる。

さらに事態が深刻化する背景には、事なかれ主義の教育行政があり、自分たちの評価が落ちないように「臭いモノには蓋をする」体質がある。文科省、県教育委員会、市町村教育委員会、学校という中央集権的ピラミッドの教育行政の人達で、このような体たらくである以上、いじめ問題を解決することは不可能である。

閉鎖的で固定的な集団組織は、似通った構成員により作られるため、他人の勧告や外部の情報を意図的に無視し、不合理で馬鹿げた意思決定をして、より危険性の高い方にシフトしてしまう。

しかしいじめの背景には、それだけでない。学校内外で、若者や子供が生きる世界はネット情報化し、人間関係のあり方も大きく変わってきた。互いに気を使い、察し合って「空気を読む」関係と自己への過剰な関心が絡み合っている。空気を読み合いし、大勢に順応する傍観者がさらにいじめを加速させている。

空気を読めという圧力の中で、周りの人から受け入れられるコミュニケーション能力が求められている。空気をうまく読み合うということと、周りの人からの承認がないと、自分の居場所がなくなり、不安になるため、余計に空気を読み合う関係を形成してしまう。頻繁なケータイ・メールでお互いのつながりを確かめ合い、終わりの見えない相互承認を繰り返す友達地獄は、その例である。

密着性の高い友達関係に拘束され、言動の自由を失っているような若者・子どもは、「友達」と認識されない外部の人間関係には無頓着であり、傍観者となっていじめを止めることはしない。

こうしたシビアなコミュニケーション環境では、自分の本心でなく、場の空気を読んだキャラを演じるコミュニケーション能力(人気獲得力)が必要で、キャラの序列化(人気の度合い)により、ポジジョン取りが決まり、スクールカーストを生み出していく。学校空間でのコミュニケーション環境は、カースト下位者へのいじめを誘発し、子供を自殺に追い込むなど深刻な事態へと発展する背景になっている。

空気を読む合う社会が、生きづらさを強いており、いじめを生んでいる。いじめは、空気を読むことのストレスから生まれている。

日本社会は、空気を読む文化であるため、戦争やいじめが起こりやすい。政治学者であった丸山真男は、戦前の天皇制を「無責任の体系」であるとし、「空気支配」体制が権力を消失させることから、日本人の主体性意識の欠如を指摘した。今なお、重要課題に対する政治家や官僚の対応を見ても、「無責任の体系」が支配している。原発事故の処理をめぐる迷走も、日本という社会の空気支配に押されてずるずると状況的に意思決定が行われる無責任な「現状追随主義」によるものだ。
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