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くじ引き民主主義が政治を変える
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2012/04/28(Sat)
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「天下国家」しか考えていないという小沢一郎は、裁判で最初から最後までウソを貫き通し、無罪となった。検察による虚偽調書のおかげである。「疑わしきは被告人の利益」で、限りなく有罪に近い無罪判決であった。決して潔白が証明されたわけではない。「天下国家」のことより、政治資金の操作術しか考えていないことが暴露された。
有罪であったら、日本の政治も少しはまともな方向に進むところだった。国民の目は、小沢氏の金にまみれた政治活動そのものに向いているのに、わかってないのは、財政難で破綻したマニフェストにいつまでもこだわり続け、小沢氏がいないと選挙に勝てない小沢一派だけである。 無実となった小沢一郎は、国政に大政局を引き起こし、橋本徹大阪市長と徒党を組んで、ポピュリズム選挙で独裁政権を目指そうとする。何にも決められない、動かない政党政治のせいで、また政局の繰り返しである。 支離滅裂な言動が多い橋本市長は、一国の指導者気取りで、これまた支離滅裂な政策を繰り返す政府を攻撃し、時局に便乗して世論を煽り立てている、敵をつくり、対立の摩擦熱ですすめるような、国の指導者気取りに振り回されるのも、政党政治が、何も決められないからだ。決められるのは、大臣の首を取ることだけ。野党の自民党もまた、落選議員の救済のため、早期解散ばかり要求し、政策なぞ、二の次、三の次しかないのだ。 ねじれ国会で、政局の府となった参議院を廃止し、一院制にしようとする議論も高まっている。解散のない参議院が、政局を左右させ、政治を停滞させているからだ。ダメ出しばかりする拒否権者が多すぎて、ポジ出しをする政治家がいないため、既得権者擁護の政治家が意思決定システムをどんどん破壊している。 数の力による政党政治では、政治が停滞する。政党を率いる指導者は、確かな時代認識もなく、使い捨てにされている。政党政治は制度疲労を起こし、国政は、時代の変化に対応できていない。議会制民主主義の限界である。選挙で選ばれた以上、全てお任せの白紙委任で好き勝手にやってくださいという「お任せ民主主義」は、稚拙な民主主義であって、大人の民主主義ではない。だから、選挙に行っても何も変わらないと合理的無知を選択する人々が増大するだけである。 時代にふさわしい統治の仕組みにするには、政治の根幹から変えるほかない。 権力資源を持たない市民が、組織の力を借りずに、ダイレクトに政治、社会に影響を与えることが重要だ。感情や情緒に訴えるポピュリズム選挙で出てくる政治家より、政治を理性的に判断できる知的な市民を重視すべきである。 そのためには、投票によらない政治改革が必要である。少子高齢化社会では、選挙だと、数が多い高齢者世代寄りの政治になる。社会保障にしても世代格差が、深刻になる。若い世代の声を政治、社会に反映させるためにも、投票ではなく、くじ引きで無作為に選んだ市民に参加させ、意見を政策に反映させるべきだ。市民参加型の「市民討議会」という取り組みが全国の自治体で既に広がっている。幅広い市民の思いが行政に反映されている。欧米でも、無作為抽出などで「普通の人々」を選ぶのが一般的である。 社会の縮図とも言える「くじ引き民主主義」で、市民感覚に根ざした政治に変えていく。「くじ引き民主主義」は、古代ギリシャのアテネから始まっている。議会ではなく、あらゆる公職や権限をくじ引きで決めていた。くじ引きこそ、一番民主的な方法であった。アメリカ憲法やフランス革命に理論的な影響を与え、三権分立の父として知られるモンテスキューは、「法の精神」で、代議制は貴族的で、くじ引きこそ民主的であると述べている。水平な人間関係を礎とする「くじ引き民主主義」が、大人の民主主義に変えてくれる。代議員制による間接民主主義では、投票に行っても、何も変わらない。国政に市民個人の意見を直接反映させる参加型民主主義が必要である。 稚拙な民主主義から脱却するためにも、選ぶ仕組みを変えるべきである。先ず、参議院は、選挙を経ずに無作為で抽出された市民を参加させる。衆議院は、大臣や、閣僚になりたい人、法案をつくりたい人を、選挙で選べば良い。但し、議決権は与えず、市民参加の参議院が、議決すればいい。法案を評価するのは、市民の判断で十分だ。衆議院と参議院とで、それぞれ異なる機能を分担させる。現行の衆議院と参議院は、ほとんど機能が重複しており、チェック機能がまったくないからだ。税金の無駄使いである。 |
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贈与経済が創り出すソーシャルデザイン
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2012/03/26(Mon)
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先日、亡くなった吉本隆明氏は、アフリカには、人間の暮らしの原型があり、贈与が世界を平等にすることから、「地球規模での贈与経済を考えなくてはならない」と、「贈与経済」の必要性を説いていた。
「贈与経済」とは、モノとモノ、或いはモノと貨幣を等価交換するのではなく、とにかく贈り物をすることが先だという経済システムである。贈り物をすればするほど、その人には社会的な名声や、万が一の時の助けが期待できるという。言うなれば、ネットワーク構築と富の再分配機能を兼ねた経済システムだ。 今まで人類が経験した、経済システムは、「市場経済」、「再分配経済」と「贈与経済」の3つのパターンに分類されるという。今の経済システムである「市場経済」は、商品には代金という有償の見返りが伴う。市場経済を自由放任しておけば、完璧であると考える市場原理は、世界的金融危機により、欠点だらけの経済システムであることが暴露された。 一方、「再分配経済」は、裕福な社会階層から税金を取り、その資金で貧困層に福祉・教育制度を拡充し、国家が経済を運営するシステムであり、ケインズ経済学とも呼ばれる。 「贈与経済」には、「市場経済」のような貨幣の支払いと引き替えに、商品・サービスを要求する「有償」の仕組みは無い。だが贈与を受けた側は、その贈与に対し負い目があるため、相手に対して、何らかの優遇措置を取らなければならない心理状況に追い込まれる。お歳暮やお中元等がその典型的な例である。 「市場経済」と異なり、贈与は「無償」が基本となる。無償の「贈与経済」は、市場経済の欠陥を補うシステムでもある。 農業人口がどんどん減少する農業の問題も、「交換経済」だと解決ができない。農業が生み出す食料自給がないと、人間は生きていけない。農業生産活動が持続可能になる経済システムを創ることが必要であるため、都市生活者が、積極的に自分の富を贈与し、サポートしないといけない。無償の「贈与経済」だけが、富の再分配機能を発揮し、この矛盾を乗り越える可能性を持っている。 東日本大震災後、被災地支援の新しい形が、「贈与経済」の一方法として注目されている。自分が共感し支援する団体(特定非営利法人、公益法人、学校法人など)のために寄付を集めるファンドレイジングが、広がりを見せている。この方法は、既にビジネスになっており、「贈与経済」を進展させている。少額の贈与(寄付)が、人間同士の交流を促進し、贈与された者が、また第三者に再贈与するため、さらに「贈与経済」が広がる。こうした仕組みは、ネット社会という地縁血縁に縛られていないソーシャルセクターに負うところが大きい。 ネット空間は、オープンソース、フリーソフトウエア、ウィキペディアなど、「贈与経済」的なソフトウエアやコンテンツで支えられている。無償で発信する情報提供に対し、その見返りは、情報である。情報を出せば出すほど、社会全体が無償の情報贈与で埋め尽くされ、ソーシャルネットワークの構築がどんどん進んでいく。 日本は、人口減少、高齢化、エネルギー問題、低い食料自給率、経済格差など、様々な課題が山積しているが、行政主導の画一的な政策では、複雑に絡み合う諸課題を解決することは難しい。 人々の心をつないで、地域を元気する独創的なソーシャルデザインが必要である。「贈与経済」には、社会に幸せなソーシャルデザインの力を引き出す可能性がある。包容力のある社会を創るには、「贈与経済」の進展が欠かせないのだ。 |
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政治不信を招く消費税論議
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2012/02/10(Fri)
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世界各国とも、財政赤字にあがき、その隙を国際投機筋が虎視眈々と狙っている。
市場は、肥大化し巨大なモンスターとなり、コントロールできなくなっている。モノやサービスなど実体経済以上に、市場に溢れたマネーが、少しでも高いリターンを得ようと世界中で動き回っているからだ。市場原理主義が、パンドラの箱を開けてしまったことで、マネーをコントロールできない。 ドルが基軸通貨であるのは、幻想にすぎず、世界共通通貨などは夢物語だ。肥大化した市場で、通貨が不安定になっている。市場に任せておけば、大丈夫だと、金融工学でリスクが管理できると主張していたグリーンスパンFRB前議長は、米国市場資本主義の象徴であった。しかしその主張とは違い、資本主義や市場を管理できなくなり、民主主義は、危機に陥っている。 今や資本主義は、雇用を減らす欧米の資本主義と雇用を増やす中国の国家資本主義の二つで競い合っている。欧米の資本主義は、2008年のリーマンショック以来、金融危機の傷が深くなっている。資本主義は、人々に雇用機会を提供するべきものだが、そうなっていない。欧米側が手を打たないと、中国の国家資本主義が勝ってしまうのだ。 欧州は、政府の債務(借金)危機が広がり、通貨ユーロの崩壊が迫っている。ユーロ圏といっても、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルなど南欧の諸国が、放蕩財政で行き詰まったが、財務健全な富裕国の北欧は、自分たちの税金が南欧諸国に投入されるのを嫌っているため、ユーロ圏解体の可能性が高まっている。 貧しい南欧と富裕国の北欧との差は、借金による放蕩財政か、高税金負担による健全財務の違いでもある。借金に頼る国は、放蕩財政に傾き、高税金負担の国は、裕福になる。 借金大国であるイタリアは、債務残高の規模が大きく、欧州中央銀行(ECB)が買い支えているものの、それでも足らないため、その対処方法が見当たらないでいる。ベルルスコーニ前首相は、人気取りのバラマキ政策で、不動産税を廃止などを打ち出したことにより、税収が落ち込んだ。イタリアは、借金を払えない政府と貸し渋る銀行との間で、お金の流れが滞り、給与や代金の支払いが止まって、倒産や解雇が相次いでいる。さらに歳出削減で、仕事、医療が削られて、深刻な影響が出ている。その上、緊縮政策により不動産税廃止以前まで遡って税金を請求されている。バラマキ政策で減税しても、財政不足となり、結局は、国民にツケが回る。 ユーロ危機の中心地であるギリシャは、民間で仕事を失った人々を公共部門で雇ったが、歳出が増える分、それに見合う増税をせず、国債による借金に頼った。ギリシャは、福祉国家を目指したものの、重税の北欧と違って、徴税せず、借金に頼ったため、債務不履行(デフォルト)に陥っている。借金か、徴税の違いで、天と地の開きが生まれる。バラマキ政策で有権者の関心を買う政治家が多い国と、国民に痛みを求める政治家が多い国の違いでもある。 日本も、税収よりも借金が多い財務状況が3年も続く異常事態になっている。デフレのため、企業も家計も貯蓄が非常に多く、銀行も貸し出し先がないため、国債ばかり買っている。日本の借金は、1000兆円を超えているにもかかわらず、ギリシャと違って楽観視している根拠のひとつに、貿易経常黒字を挙げている。 だが、その経常黒字も、経常赤字に転落してしまった。円高で製造業の不振が続くため、再び、経常黒字には戻ることは難しい。経常赤字になると、海外からお金を借りることになり、国債暴落の不安が現実味を帯びてくる。メガバンクも国債暴落のシミュレーションを備え始めている。日本が借金なしにするには、消費税を増税しかないところまで追い込まれている。 国会で消費税増税がうまく行かないと、市場に不安心理が広がる。国債価格が下がり、長期金利が上昇するため、政治不信が最大のリスクとなる。銀行の含み損、株価下落で日本経済は大混乱になる。 消費税増税反対派の最大の理由は、デフレ下でさらに消費が落ち込み、生産減少、失業者の増大、低所得層への影響を挙げる。しかし問題は、「どちらの懸念がより深刻か」という点にある。消費税増税が出来ないとしたら、日本経済に与える混乱の方が、より深刻である。国民の生活が高金利や高インフレで破壊され、社会保障費も大幅に削減されて、消費税は25%以上にもなる。 消費税増税反対だと、さらに財源不足が生じるため、様々な問題解決にまったくつながらない。一方、消費税増税は、短期的には、デフレ効果をもたらすが、中長期的には、経済成長の阻害とはならない。 勿論、議員定数や公務員給与の削減などにけじめをつけるなど、歳出の正常化が前提だ。 少子高齢化社会になるほど、経済成長など期待できない。貿易経常収支が赤字になる以上、所得収支で稼ぐしかない。これからは投資立国として、海外企業などへの対外投資で利子や配当を稼ぐ必要がある。 政治家が選挙で自分の利害ばかり、借金のツケ回しのことばかり考えていると、若い世代の将来は、より深刻になる。政治家も有権者も将来のことより、目先の利益しか考えないため、民主主義の限界である。政治家の力量は、減税など人気取りの政策を捨てることであり、身を切る決断ができるかにかかっている。 政権を担う民主党は、党内がまとまらず、スピーディな決定ができない。自民党は、政権の足を引っ張るばかりで、思い切った妥協に踏み込まない。決められぬ政治に不信が高まるばかりで、消費税論議が進まないと、欧米の格付け会社が、国債を格下げする。長期金利が上昇した時、与野党の政治家は責任をとれるのか。 政局絡みの消費税論議ばかり続けていれば、社会保障制度はいずれ破綻するだけだ。政治的思惑に影響されずに、専門家が中立的な立場で、財政を考える機関が必要だ。 |
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虚構社会の成れの果て
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2012/01/10(Tue)
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世界経済や政治、社会は、すべての面で、すぐ崩れる砂上の楼閣になっている。
財政破綻は、必至で、貧富の差も世代間の格差も広がり、深刻な原発事故も起きてしまった。 「原発安全神話」は、一夜にして崩壊したが、長きにわたって危うさを見落とし起こるべくして起きた原発事故であった。原発は、地震で配管に穴が開き、ベントラインも水素ガスが逆流するなど欠陥だらけの構造であった。原発関係者の幹部は、非常用復水器の構造すら知らなかった。さらには故障や操作ミスしか想定せず、自然災害による事故を想定外にした。組織を守ることを最優先し、当事者意識が全く欠如しているため、福島の住民らは見捨てられたままである。 お金によって築き上げられた「原発安全神話」は、全くの虚構に過ぎなかった。それでも、原発の交付金を目当てにまだ「原発安全神話」という虚構にしがみつこうとしている人たちがいるが、何と滑稽で哀れなことか。 原発がないと失業するしかない原発依存社会は、わかっちゃいるけど、やめられない虚構構造になっている。この虚構の背後には、電力会社、重電メーカー、商社、銀行、官僚、政治家など連なる膨大な人々の利害が、「原発安全神話」の基盤を支えていた。これまで日本は、虚構であるとわかりきった政策で、亡国に至った歴史を繰り返してきた。 経済社会も虚構経済によって生み出されてきた。小さな虚構で生まれた金融が、レバレッジの原理でさらに巨大な虚構の需要を生み出し、その虚構によって、大量のモノを生産するため、過剰な設備投資が行なわれた。虚構の上にさらに大きな虚構が生まれ、それを実体として思い込まされてきたのが、今の経済社会である。 米国の金融資本主義社会は、一部の者に富が集中する仕組みになっており、格差を生む源になっている。欧米の経済成長など、虚構で塗り固められた砂上の楼閣に過ぎない。 欧州の金融危機で、欧州全体が不安定になり、虚構の権威で作られた国際金融システムが音を立てて崩れている。欧州統合通貨であるユーロは、みんな信じている虚構で成り立っている通貨制度に過ぎない。 日本も、財政赤字が1000兆円を超え、雪だるま式に増大し、財政破綻が待っている。国家破綻となれば、国民は大量失業になり、年金制度も吹っ飛んでしまい、困窮する。今でも非正規社員が増大したため、中間層が没落してしまい、貧困層になっている。 国家が、グローバル市場の動きに追い着けなくなっているにもかかわらず、政治は、いつまでも機能不全のままである。政治家が、「社会の在り方」を真剣に議論せず、ソロバン勘定で政局や選挙の利害しか考えないからだ。今の代議制民主主義は、衆愚政治を招くだけで、自己改革もできない。 政府は、社会を代表しているものとは言えなくなった。有権者の関心は細分化され、幅広く政策をそろえた政党など存在しない。同じ顔ぶれや利害関係者だけの政治家が集まりやすい政党政治は、もう限界だ。 政治や社会の様々の分野で、利害をコントロールするためには、多数の人々が参加する新しい民主主義が必要だ。利害関係者を選ぶ選挙ではなく、市民から無作為で抽出された市民参加による意見の方が、行政を動かす原動力になる。 政治家は、自分の利害に結びついた判断をするが、無作為で選ばれた人々は、利害関係はない。市民参加による討議を通じて最終的に「社会全体の利益」が過半数を占めることが望ましい。市民参加が触媒になって、代議制民主主義を自己改革するほかない。 虚構で塗り固められた砂上の楼閣を破壊し、小さくても実態のある本当の社会の仕組みをつくらない限り、今回の危機を乗り越えることはできない。 |
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プラス・サムの公益資本主義
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2011/11/14(Mon)
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ギリシャ危機がイタリアにも飛び火し、ユーロ圏各国は、債務危機に陥っている。リーマン・ショック以上の金融危機になる可能性がある。
世界中の政府の過剰債務が、深刻になっているからだ。市場資本主義による世界経済は、迷走の歴史を繰り返している。 米国の株主資本主義は、「会社は株主のもの」だとし、儲けたときは、資本家と株主で山分けするが、大きく損失したときは、国民に税負担させるルールをつくった。株主は、強欲でゼロ・サムのマネーゲームばかりを繰り返している。極端な短期的利益を追求する企業は、社会にとって有害である。 金融機関のヘッジファンドマネージャー等の報酬は、トヨタの利益以上だ。ヨーロッパの国々が財政赤字で傾くほど、ヘッジファンドにとっては、逆に大儲けのチャンスになる。これが市場資本主義とすれば、精巧とは言えない金融市場によって国家が破綻に向かうだけだ。米国では、1%が99%を搾取しているとして、ウォール街を占拠し抗議する若者が増えるのも当然である。世界各地で、失業にあえぐ若者たちが怒り、「反市場主義」「反グローバリズム」のうねりが広がり、格差拡大への懸念が渦巻いている。格差社会を生み出す新古典派の自由資本主義経済に委ねるには、もう無理だ。 宿命的にバブルを起こしやすい金融市場は、いつも実体経済を振り回している。 バブル崩壊による金融危機を脱するために、政府による空前の財政出動も、中央銀行による超金融緩和も、世界経済を救えなかった。その副作用に苦しめされ、ケインズ経済学も処方箋を示せず、無力である。 何しろ現代の経済学は、未だにニュートン力学以前のレベルのままであり、現実に起こる複雑な社会現象を解決できる処方箋はなく、社会実験ばかりを繰り返している。 自由民主主義が、今の経済危機を招いている。 政治家が選挙のことばかり考えるため、増税も出来ず、高齢化による社会保障費も削れない。選挙に勝つために一部の国民の望みを汲み取ろうと、利益要求に多額の予算をつける。その結果、利益誘導競争に走り、国の財政は赤字に傾き、債務は膨張する。その挙句の結果、日本は、1000兆円を超える借金にまで膨張してしまった。 民主党のマニフェスト政策に見られるように、「選挙のための政策」ばかりが強調され、「国の将来のための政策」が見られない。自由民主主義の下では、現在の利益要求しか求めないため、将来の社会がどうなろうと長期的なことは考えない。 市場資本主義は、格差を生む宿命にある。多くを持ちすぎる人間の判断力は、怪しい。市場原理が成り立たず、分配の不公平が生じる。社会の「持続可能性」、「公平性」、「公益性」を無視しているからだ。 公益を目的とした資本主義を確立する必要がある。GNPではなく、「公益性」を経済指標にすべきである。 ゼロ・サムのマネーゲームによる株式連動型(株式オプション)の報酬は認めず、Win-Win関係によるプラス・サムのゲームのルールに変えるべきである。市場プレーヤーに、従業員や市民などの関係者を加えて、利益以外に公益を重視する市場制度に変え、よりバランスの取れたものにすべきだ。市場は人間が創るものである。 公益を無視したゼロ・サムの資本主義経済は、もう要らない。 |
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政治の混迷は、民主主義の欠陥
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2011/08/27(Sat)
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米国の債務不履行(デフォルト)をめぐる米国議会の機能不全で、世界経済が行き詰まっている。
債務不履行の破局に陥る瀬戸際で合意が成されたが、格付け会社スタンダート・プアーズ(S&PS)が、米国国債を格下げしたため、世界経済の失速を加速させた。他の格付け会社が、格付けを維持しているのにかかわらず、S&Pだけは、格下げを行った。 S&Pの誤った判断は、今回だけなく、過去にもある。サブプライム住宅ローン危機でも、危険度の高い住宅ローン証券を最上の「トリプルA」の格付けを与えていた。 さらには破綻して世界規模の金融危機を引き起こしたリーマン・ブラザーズに対しても、消滅するまで、格付け「A」の格付けを与えていたことから、リーマン・ショックの引き金となった。格下げされた米国の信用力以上に、S & Pの下す判断は、ほとんど信用できないと言われている。作為的とも言える格付け発表で、国の信用力が左右され、武力を借りなくても、情報だけで瞬時に国を滅ぼすことが可能である。 S&Pは、財政赤字を巡る米国議会の機能不全を批判して格下げを行ったが、米国国債の格下げで批判の矢面に立たされていた米国議会は矛先をS&Pに向け、反撃に転じた。格付け会社の判断や情報管理に問題がなかったか調査に乗り出し、規制強化も辞さない構えだ。米議会の機能不全を批判してきた格付け会社には、思わぬしっぺ返しとなった。 それにしても、国益よりも党益、党益より保身に走る政治家にうんざり。米国の政治も日本化している。問題の核心を直視せず、非難合戦を続け、痛みを伴う政策は後回し。米国も日本も泥縄政治に陥っている。民主主義政治の格下げでもある。 最大の共通点は、政治が問題を解決できないどころか、政治そのものが経済再生の足を引っ張っていることだ。政治が妥協できず、手を打てず、やるべきことを先送りするから、経済が沈んでいく。経済がグローバル化しているのに、政治はローカルで井の蛙のようなことばかりやっている。 今回の債務危機は人災で作られた。茶会(ティパーティ)と呼ばれる保守過激派は、社会保障を削れと、さもなければ国家破綻と、国を人質にした財政テロを引き起こした。米国政治の火遊びで、日本は超円高のやけどを負ってしまった。人質は米国民ではなく、世界中の人々なのだ。 リーマン・ショック後、財政悪化からソブリンリスクを生んでしまったため、財政危機を解決しないかぎり、経済は再生されない。経済無策のままである。 ねじれ国会では、「数の力」による政治ばかりが横行し、「政策本位」の政治などできるわけがない。「政党の、政党による、政党のため」の政治では、民主主義の成長などあろうはずがない。まして「選挙互助会」のような政党に政治などまかせられるわけがない。 今の民主主義の欠陥は、「数の力」で相手を叩き伏せるだけで、その意見が国民の望んでいるものであるかどうかの判定を下す人が存在しない。 解散のない参議院が、政局を左右するのもおかしい。参議院は、本来、衆議院による政党政治をチェックする機能がある以上、政党の議員を選出すべきでない。そのために、参議院の選挙制度を抜本的に見直す必要がある。参議院の議員は、政党から選ぶのでなく、司法の裁判員制度のように、国民から抽選制で参加させることがより望ましい形だ。国民が真に望んでいる政策を実現させるには、政党主導の政治ではなく、市民主導の政治が必要だ。 このような仕組みなしには、これからの民主主義の成長はありえない。 |
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原発エネルギーの時代は終わった
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2011/06/25(Sat)
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原発を全面停止すれば、電気が足りなくなり、電気代も値上げせざる得ないことから、原発が必要だと主張する人々が多いが、果たしてそうであろうか。
火力の稼働率45%を、65%以上にすれば、原発が全面停止されても、電気はむしろ余る。 日本で発電される電気の20%近くは、自家発電で、その90%が火力である。大手企業などは、電力会社から電気を買うより安いから、自前の発電設備を持っている。 今回の原発事故で、採算性、安全性、クリーン性のどの点から見ても、原発をエネルギー政策の基本に据えるには無理がある。しかも日本の「原子力村」を守るために、国の原子力関連予算で年間約4500億円もの多額の税金が投入されており、原発を維持する方が電気代を高くするのだ。 原発の発電コストが火力発電より高いことは明らかである。火力発電の主力も、原油でなく、天然ガス(LPG)にシフトしている。 昨年の原子力発電実績をガスタービン・コージェネレーションシステムに置き換えても、必要な新規投資額は約8000億円程度で済むという。東電管内の電力をガス発電に切り替えるだけで、原発は不要になる。各家庭での自家発電も可能である。 ガスタービン・コージェネレーションは、既存火力よりも熱効率が30-50%も高く、二酸化炭素の排出量も大幅に下がる。燃料となる天然ガスは、原油と異なり、世界的に供給量が増えている。 再生可能エネルギーの利用拡大には、まだ多くの課題が残されているため、時間がかかる。 実証済みのガスタービン・コージェネレーションシステムなら、国家総動員態勢でやれば、1,2年以内に全ての原発に代わる新規発電設備が可能だという。 原発に頼らなくても、安くて環境にも優しく、持続可能な電力供給は可能である。 |
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解決策のないリスク社会
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2011/05/20(Fri)
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原発は安全でクリーンでないことが一夜にして明らかになった。
原発事故というブラック・スワンは、メルトダウンという制御不能な結果をもたらした。これまで国は、原発事故になる確率が「隕石が当たって死ぬ程度の無視できる大きさ」だと主張していたのが、簡単に起きてしまった。 最悪の事態を想定してこなかった東電は、震災直後からメルトダウンしているのに、眼前の現実を認めず、後手ばかり繰り返している。後から後から深刻な事態が明るみになる。最悪の場合、何が起こるかという最大値の問題に取り組んでこなかったからだ。 地震や津波が起こる場所に原発を建設したのは、政府や産業界などの人間が決めたことで、想定外でも、自然が決めたことでもない。人間自身が制御できない結果を生み出している。 しかもその結果に対して、誰も責任を取らない。政府と電力業界が、なれ合いによる対応の甘さから、組織化された無責任システムが出来上がっているためだ。問題が起こると、その負担を国民に回すことばかりする。 原発コストには、巨額な補助金も、未だに処分が決められない使用済み核燃料の除去コストも算入しておらず、粉飾まがいの構図そのものだ。 人間が作り出した限界のないリスクは、原発だけない。地球気候変動、グローバル化した金融経済、政党政治、ナショナリズム、マスメディア、テロなど多くのリスクにも限界がない。人間の意志決定でリスクが生まれているからだ。 世界的ベストセラーとなった「ブラック・スワン(不確実性とリスク)」は、人間には不確実性を扱えない根本的欠陥があることを指摘している。人間は、自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていないのだ。 リスクの大きさに見合うだけの解決策が全くないのだ。今の制度は、原発事故などの大きな問題解決のために設計されていない。 制御不能なリスクは絶対に避けなければならない。今まで政府や専門家が何がリスクで何がリスクでないのか、決定する権限を独占してきた。そこには市民が不在で透明性もない。市民運動が起きないと、産業界と政府の間に直接的な結びつきができてしまう。 不都合な情報を隠す政治を透明化するには、強い市民社会が必要だ。問題を広く見える形にするには、民主主義だけではなく、市民社会の関与も必要だ。 最終決定できるのは、政府や専門家ではなく、市民社会の健全な判断しかないのだ。 日本は、市民社会がしっかりしているから、政治が貧困なままでいられる。政治家が国民に甘えているからだ。いつまでも解決策を先送りばかりする無責任な政治家に国民生活を安全に守る資格などあろうはずがない。 |
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原発が核兵器になる時
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2011/05/01(Sun)
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福島は、広島、長崎の後を追うように世界の共通語になった。原子爆弾の被爆国である日本が、原発事故という新たな形の放射能の恐怖に襲われたのは、悲劇的な巡り合わせとしか言いようがない。
原子爆弾は、放射能に加え、高熱や爆風を放つため、その破壊力は、原発事故の比べものにならない。今回の福島原発の事故は、三発目の原爆が落されたようなもので、しかも日本人の手によってだ。 核の脅威は国外からだけでなく、国内にもあることが認識させられた。福島原発事故は日本にとって悲劇であったが、同時に世界の危機でもある。 原発事故から核兵器を連想する人々は世界中にいる。旧ソ連指導者だったゴルバチョフ氏が、チェルノブイリ原発事故で、核戦争の疑似体験をしたことから、核軍縮に突き動かされたことは、良く知られている。 最小の小型核弾頭でも、チェルノブイリ原発事故の三回分に相当する放射能があるため、蓄積した核弾頭のほんの一部の爆発でも破局につながるとして、核軍核競争を止める決意を示したのだ。 米国でも、今回の原発事故で、「原発テロ」への警戒心が強まったと言われている。理由は、使用済み核燃料プールで核燃料破損による放射能漏れがあったことから、テロリストがプールを破壊するだけで同じ危険に直面するためだ。「使用済み」という言葉と裏腹に、実は非常に危険であることが分かったからだ。 例え原発を堅牢にしたとしても、まだ太刀打ちできない。「サイバーテロ」にも警戒が必要であるためだ。原発の重要施設を制御するコンピュータに侵入して主電源や予備電源などを一気に停止させて、放射能放出をもたらす危険性が高まっているからだ。 国防の面からも、敵対国のミサイルで原発が次々と攻撃されたら、国中が大混乱になる。原発が放射能兵器になってしまう。原発事故は、原発攻撃の脅威をも印象づけた。イスラエルも、福島原発事故直後に、自国の原発建設計画を見直した。原発が敵対国の標的になるのを避けたからだ。 原子力利用が高まるほど、原発が事故や攻撃で核兵器になる不安も同時に高まる。これほど原発の危険性が高まっている状況にもかかわらず、平和や安心・安全を求めて原発に依存したい人々が多い。 原発は、クリーンで安全なエネルギーで、地球温暖化防止に役立つとして国策として進められてきたからだ。しかし原発を推進する側には、透明性が欠けており、安全神話にあぐらをかく傲慢さがあった。 旧自民党政権は、東電をはじめとする電力会社を景気対策の道具に使ってきた。 景気対策として電力会社に多額な設備投資を要求し、不要不急のハコものを造らせた。そういうことを繰り返してきたため、景気対策に協力する見返りとして、電力会社に対する政府の監督の目が甘くなっていった。 保安院・原子力安全委の両トップは、過去に「電源喪失、想定できぬ」と安全を言い続けてきた。東電は、電力会社なのに、電源喪失の失態を招き、原発の安全設計を真面目にやってこなかった。東電に危機管理能力のないことも露呈された。東電の危機管理能力が低くて対応が鈍いのは、複雑きわまりない原発の内部構造を熟知している人間が経営上層部にいないからでもある。 「想定外」で済まされないことが起きるのである。福島原発事故の教訓は、本当に重い。既得権益を守る政治は、もう要らない。国の官僚や電力会社にすべて任せるのではなく、一般国民も参加しボトムアップで議論を重ね、原発の安全を根本から考え直すべきである。 環境省は、風力発電で原発40基分の発電可能との試算を明らかにした。原発は、自然エネルギーや再生可能エネルギーに替えるまでのつなぎであって、将来的には脱原発を目指し、代替エネルギーの開発に大きく踏み込むべきである。 日本は、歴史の節目に来たことをしっかり考える必要がある。いつ核爆発が起こるかもしれない原発にいつまでも頼れないのだ。 |
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国難より政局が第一の小沢一郎
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2011/04/19(Tue)
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この非常事態に、小沢一郎が野党の菅内閣不信任案に賛成する倒閣運動に乗り出した。
菅内閣や与党だけで、震災や原発事故に対応できるとは、国民の誰しも思っていない。だからこそ、与野党が協力して国益優先で対応してもらいたいのに、国難より「政局が第一」の小沢氏は、自分たちの立場しか考えていない。小沢氏が正論を言って見ても、単に政権が欲しいだけにしか聞こえない。 原発事故処理に、小沢氏は「夏までに収束するのか。俺ならいくつも手はある」と菅首相を批判したが、原発の専門家でも対応に苦慮しているのに、小沢氏にどんな手があるというのか。小沢氏が出演したネット番組で原発事故解決の方法を尋ねられても、何ら具体策を持ち合わせておらず、結局は政局のネタにしているだけだ。菅内閣は無責任内閣であるが、小沢氏もそれ以上に無責任な政治家だ。 岩手を選挙地盤とする小沢氏が、政府に協力するどころか、震災直後から雲隠れして、沈黙していた政治家に何を任せられるだろうか。地元が被災しているのに大して支援もしないで倒閣運動ばかり精を出している。 自民党でさえ復興支援に最低限の協力の姿勢は見せようとしているのに、民主党は内部分裂で倒閣運動ばかりやっているのであれば、民主党はガレキ以下の存在である。 子ども手当や高速道路無料化の財源を復興財源の確保に回せばいいのに、未だマニフェストに固執する小沢氏支持グループは、利益誘導の選挙対策しか考えない無能な国会議員集団だ。国民のためというより、自分の生き残りのためと見られても仕方あるまい。「首相は危機に対応できていない」 という小沢氏支持派は、国民の声に対応できていない。 国民不在の倒閣運動によって何の展望が開かれるというのか。政権党の内輪もめで迷惑するのは国民だ。こんなことをしている場合か。「国民の生活が第一」というのなら、少しは国民の方に目を向けてほしい。 |


